悲惨な事件の記憶の継承ということ

篠田 英朗

広島には仕事で頻繁に来る。ただ、今回は4月の広島平和記念資料館の本格的リニューアルオープン後に初めての訪問となったので、相手をしたカメルーン人の訪問団一行とともに資料館に時間を使うことができた。

4月25日に本館をリニューアルオープンした広島平和記念資料館(公式サイトより:編集部)

検討と工事の時間をすべて含めると、10年くらいはかけているのではないかというリニューアルである。ただし長い歴史を持つ資料館なので、リニューアル自体は、過去に何度か行われてきた。たとえば戦争責任が見直された1990年代には、入り口のまず冒頭部分に戦前の軍都・広島の歴史が展示された、などの世相を反映した変更がなされてきた。

今回のリニューアルの方針は、被爆者の方々一人一人の被害と生活の実相に迫っていくことだったようだ。成功していると思われる。

今回のリニューアルの内容決定時は、子どもたちに強い印象を与えていた、原爆投下直後の様子を形作っていた人形が撤去されることが、話題になった。訪問してわかったが、代わりに被爆者の方々が書いた絵などが、ふんだんに掲示されている。人形撤去の方針の代替措置と言えると思うが、より効果が高まった、と評価できると思う。

被爆の後遺症で小学校に通い始めながら1955年に白血病に亡くなった佐々木禎子さんの例は有名だ。平和記念公園に設置されて、多数の折り鶴を受け止めて続けている、「原爆の子の像」は、佐々木禎子さんがモデルだ。リニューアル後の資料館でも、しっかりと紹介されている。しかし今回のリニューアルでは、さらに多数の犠牲者の遺品や遺した言葉、さらには被爆者の戦後の生活の苦難などが紹介されている。被爆して仕事もできず苦しみ続けている方を抱え込んだ家族が負わなければならなかった大きな苦難なども、赤裸々に画像とともに紹介されている。

膨大な数の被爆者証言が、被爆時の記録だけでなく、戦後の生活の苦難も含めて集められている広島の事例は、大きな意味を持っている。私自身、駐日ルワンダ大使に広島を案内したことがあるが、ルワンダのキガリにある「ジェノサイド博物館」などでも、生存者の証言が極めて効果的に用いられており、広島の影響も感じさせる内容になっている。

私が持っている2017年までの資料では、広島が7年連続で訪問観光客数の最高値を更新し続けていることが示されている。2017年の訪問観光客数は、1,341万人である。この中で、修学旅行生の数は、毎年減り続けており、その総数はわずか31万9千人にすぎない。その約5倍の151万人の外国人観光客が広島を訪れており、外国人観光客数も史上最高値を6年連続で更新しており、全体の総数を底上げしている。

実は「トリップアドバイザー」などの外国人の旅行口コミサイトにおいて、広島の平和記念資料館は、宮島の厳島神社とともに、京都の施設と、「満足度が高い日本の観光地」のトップ争いを常に続けている。広島のポテンシャルはもっと高いと考えていいだろう。

悲惨な経験の記録が、人を引き寄せるのは、平和への願い、という未来に向けたメッセージがそこに明確に存在しているからだ。広島という街の存在が、極限状態からも立ち上がる人間の可能性を実証しているからだ。広島は、被爆者の証言、という特殊な平和運動の文化が、大々的に開花した特別な場所なのである。平和国家の日本の象徴として国際的にアピールする意味も大きい。

ところが、日本人の中には、修学旅行で行くところ、左翼が運動するところ、といった印象を持っている人が多い。残念である。

凄惨な殺人事件、悲惨な交通事故、などが起こるたびに、被害者や遺族の尊厳をどう保っていくか、が問題になる。マスコミが配慮を欠いた取材をしないことは、もちろん絶対要件だ。だが報道しなければいいだけなら、時間がたてば、やがてそうなっていくだろう。

マスコミが無責任な行動をとる、皆がテレビを観ながらそれを非難する、やがて事件は忘れられていく、その繰り返しだ。

それでいいのか。

被害者や遺族の尊厳を尊重しつつ、なお社会を前に進めていくために、われわれに何ができるか。

そういったことを考えるために、広島を訪れる。そのような広島の意味が、世界中にもっと広がっていくことを期待する。

篠田 英朗(しのだ  ひであき)東京外国語大学総合国際学研究院教授
1968年生まれ。専門は国際関係論。早稲田大学卒業後、ロンドン大学で国際関係学Ph.D.取得。広島大学平和科学研究センター准教授などを経て、現職。著書に『ほんとうの憲法』(ちくま新書)『集団的自衛権の思想史』(風行社、読売・吉野作造賞受賞)、『平和構築と法の支配』(創文社、大佛次郎論壇賞受賞)、『「国家主権」という思想』(勁草書房、サントリー学芸賞受賞)など。篠田英朗の研究室