「老後資金2000万円」問題が、参院選を前に突然争点化されたが、世論は相変わらず、本質を隠している。ところが先日の国民民主党の玉木代表による「『老後2000万円問題』の何が問題か」(アゴラ6月16日)は納得の論考だった。
「年金2000万円」爆弾は15年前にセットされていた
2004年に小泉政権は、年金制度改革関連法を「100年安心」というキャッチフレーズで安心感を演出しながら成立させたが、これは「年金制度は100年経っても大丈夫ですよ。安心してください」という制度の持続性の意味だったのが、いつからか「年金は、100年という長い人生の生活を保障してくれる」という意味に誤解する国民が増加した。今回の事態は、先送りされた欺瞞と誤解が露呈したに過ぎない。
皆、報告書を読んだのだろうか
私自身は、報告書を出した有識者の結論は見えていたので、玉木党首の論考に触れるまでバカバカしくて読む気もなかった。要点だけ読み込んだが、大胆に要約すれば報告書は、「老後の不安を出汁にして、若い世代から高齢者世代まで貯金を資本市場に流し込むように国民を啓蒙しろ、金融業界に有利な環境を創れ」という業界のロビー活動の主張だ。
報告書の1頁目に「…高齢社会のあるべき金融サービスとは何か…、その議論の内容を報告書として今回提言する。(以下略)」と宣言しており、「金融サービスについての議論を報告する」ことが、当該報告書のテーマであり、「もっと国民に金融知識を植えつけ、政府と金融機関は、国民にとって勝手の良いサービス環境を作りましょう」という提言だ。
2000万円の算定根拠は荒々しい単純化
それを言うための一つの論拠として、荒い設定に基づいて「同水準の消費を維持するならば単純計算で2000万円不足します」というたったひとつのモデルケースを使った計算をしているだけである。
計算:毎月マイナス5万円×12カ月×30年=1800万円≒2000万円
設定が荒いのは報告書の制約からだろうが、悲観・楽観・中間ケースの3パターンくらいは提示して欲しかった。
メディアもデモの人達も、騒ぎたいだけ・非難したいだけ
「年金払え」「年金を溶かすな」というスローガンでデモが行われたが、本質は何も捉えていない。報告書を読めば、自分たちの主張は論理的ではないことを自覚するだろうが、きっと読んでいないのだろう。結局これも、政権を攻めイメージを悪化させるための活動ではないか。
年金問題の本質とは
異論も多いだろうが、年金問題の本質とは次の5点だ。
- 依存心
「将来給付するから」と幻を見せながら、若い世代の人件費を抑え年金と税金を徴収し続けてきた。しかしその副産物として、「老後は国に養ってもらえる。最低限度の文化的な生活は政府が保証してくれる」という依存心を国民に持たせ、「貯金することも必要だ」と誤った話をメディアから知らされると、「騙された」と感じてしまう。
- 年金制度
社会の成長鈍化も、国民の寿命の伸びも、制度設計時の見込みを大きく超えた。もはや微調整では乗り切れない水準だ。今こそ知力を使って本質的な制度改革を実行すべきでで、それも短慮ではなく、10年単位での議論が望ましい。
- 政権の都合が優先される制度の運転
年金支給額は物価連動のはずだが、投票への影響を考えると、「特例」を設けるしかなかった。徳政令は結局鎌倉幕府の破綻を早めたと記憶する。支給減額の激変緩和のための特例と債務免除とでは、譬えが飛躍し過ぎではあるが、支給額の硬直化は継続期間次第で収支バランスにとっては致命的になる。どんなに精緻な年金制度を設計しても、時の政権の人気取りの要素が加味されると、破綻のリスクは高まる。
- 高リスク運用
公然と、しかし静かに、年金資産を高リスク商品での運用に振り向けている。この5年ほど株式市場の動きが非常に不自然である。年金などの公的資金の買い付け日には価格形成時に不自然な上昇などが観測されるのである。米中貿易戦争の影響によって株式市場の低迷も想定すべきで、それが長期化すれば含み損も発生する。果たして現政権はそれも加味して限度額を設定しているのだろうか。
- メディアに踊らされる国民
明らかに、現実を見ないでメディアに踊らされている。帝国憲法が初めて導入された際も中身も知らずに喜び騒いだという日本の国民性は今も同じではないか。
新聞に踊らされて交番を焼き討ちしたり対米開戦論を支持したりしたことが、結局は自分達に苦しみをもたらした。そうした「素直」な国民性こそ成熟させてゆかなければならない問題の中心であると感じる。
解決策
解決策は4つある。
- 自助努力としての2つの資産の蓄え
1つは、従来通りお金の貯蓄を殖やすこと。国民の性格や金融知識を考慮すれば、数年程度の短期運用では殆どの人が損になる。英語にも強くないので海外投資にも向かない。結局当面は貯金が一番国民性にあう金融資産形成方法である。
もう1つは「筋肉貯金」。足腰が悪くなると、人は急速に弱って行く。筋肉は何歳になっても鍛えれば維持向上できるので、自力で生き生きと活動できるよう、自愛と筋肉の維持に努めることが重要だ。
- 資産形成教育:複利、期待値、不動産
日本国民の全体像としては、算数教育によって数的能力が極めて高い。更に、時代の進化に合わせて指導内容に複利計算と期待値を組み込むことが望まれる。現在、高校数学のカリキュラム中に登場するが、義務教育で教えるべきである。金融リテラシーと呼ばれる一連の知識が広まる前提条件だろう。
そして、不動産の資産としての意味を啓蒙すべきだ。特に住宅は、皆大きな借り入れをして新築するが、一般住宅は20年も経過すれば建物部分の資産価値が0に等しくなる。建物部分の建築費を1200万円と仮定すると、目先で倹約しながら年間60万円(月5万円)の資産価値の消滅を許容しているという状況だ。
時代の変化に思いを致す時、これは贅沢ではないのか。コンクリートの寿命は長い(数十~数百年)。これを利用して汎用性の高い基礎部分の標準形を設定するなどで、建物を消耗品から本当の耐久資産へ変質させられないだろうか。
- 文化
経済誌の特集などで「自分が受け取る年金額は、払った以上かそれ未満か」といった特集が組まれ、なんとなく若い人には損なイメージを喚起し高齢者を「逃げきり世代」と決めつけ世代間の不公平感を醸成しているが、そもそも税金も年金も、基本は国民が負担するものだ。
特に年金は、「自分が年を取って自立に限界があるときには支えてもらえる」という有り難い国民全体の心だ。国の運営は全体として、損か得かという一面の計算ならば、大多数の善良で勤勉な国民は損するものだ。しかし、それを遥かに上回る「貢献できた満足感」や「人としての徳」を手に入れることにメディアはもっと注意を向けるべきである。
住宅と連動するのだが、3世代同居へと回帰することも、見直されても良い日本の文化ではないか。
- 制度再設計
世代間の不公平感を解消することや支給対象等の最適化は極めて難度の高い問題だ。目先の与野党攻防に時間を浪費すべきではなく、これこそ官僚も知恵を出し、国会でも議論を尽くすべきテーマだ。
支給年齢を引き上げ、支給金額を引き下げ、年金を支える若い層の負担を大きく軽減する。その代わり、年金納付や社会還元に貢献した人物への叙勲など、金銭価値だけでは計算できない功労への敬意の仕組みにするなど、制度を尊敬し大切にする国民意識を高める施策も合わせて創設すべきとも考える。
玉木代表におかれても、年金に関する自説をぜひ与党にぶつけて大いに議論して欲しい。
田村 和広 算数数学の個別指導塾「アルファ算数教室」主宰
1968年生まれ。1992年東京大学卒。証券会社勤務の後、上場企業広報部長、CFOを経て独立。
【おしらせ】「年金」に関する論考を緊急募集中です
2019年6月後半の緊急公募原稿のテーマは「年金」です。参院選が近づく中、「老後資金に2000万円が必要」とした金融庁の報告書を巡って、政局が緊迫してきました。政権与党が守勢に回る場面が目立ちますが、野党も現実的な対案を持っているようには思えません。
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