年金問題の錯覚 〜 個人の対策と国の政策 --- 松浦 克彦

「将来年金だけで生活できるのか」「年金だけでは不足する場合、いくら貯蓄が必要なのか」と、年金関連の種々の議論がなされている。つまるところ、将来いくら年金があれば生活に不安がないのかということだが、実はこの問いには答えがない。毎月何万円あれば大丈夫だとは言えないのだ。何故か。

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そもそも何のために年金があるかといえば、老後の生活のために必要な物やサービスを買うためだ。物・サービスを買うのは「今」ではない。「老後の生活を送っている時点」即ち数十年後の時点で売られている物やサービスを買うのだ。将来に備えて資産を積み立てるというと、何となく冬に備えて夏の間に食料を蓄えておくようなイメージをもってしまう。しかし、これは間違いなのだ。

現代における資産の積立は、物やサービスそのものを貯めているのではない。将来、その時点で供給されている物・サービスを購入する権利を蓄えているのだ。この「購入する権利」でどれだけの「物・サービス」を購入できるかは、その時点での「購入する権利」と「物・サービス」の需給バランスで決まる。だから、「年金がいくらあれば良いかは、その時点にならないと正確にはわからない」というのが正解となる。

「月20万円の年金だけでは不足するので、2000万円貯蓄しておこう」。年金や貯蓄については、常に金額で議論がなされる。これ自体は仕方のないことなのだが、ここで無意識に錯覚が生じている。

例えば、将来25万円あれば、現在25万円で買える物と同程度の物が買えるのだと。冷静に考えれば、物価が将来変動する可能性があることは誰もが知っている。しかし強く意識していなければ、物価変動がないイメージで考えてしまう。長い間デフレが続き、日本人にインフレ経験が殆どなくなっているためだ。これは言い換えれば「需要が増えてもその分の供給増加が可能」と無意識に想定しているということだ。

もちろん、需要に応じて物・サービスの供給が増えれば、何の問題もない。だが年金に不安があるのは、そもそも生産年齢人口の割合が低下し、物・サービスの供給に不安があるためではなかったのか。

当然のことながら「購入する権利」が多ければ、その時点で存在する物・サービスの配分をより多く受けることができる。個人としては、より多くの年金や貯蓄があった方が安心なのは間違いない。だが、国全体でみた場合には、この考えは成り立たない。

仮に老後世代の全員が満足できる水準の年金を支給するようにしたとしよう。これは国全体で見た場合、その時点で供給可能な物・サービスを、老後世代が満足するように配分することを意味している。物・サービスの総量が決まっていれば、その分現役世代には十分な配分がなされないことになる。

国全体の年金問題を議論する際は、「いくら年金があれば安心か」という個々人の視点で考えてはだめだということだ。その視点からは、限られた量の物・サービスを老後世代と現役世代でどう配分するかという以上の議論には進まない。分け合うパイが増えない限りゼロサムゲームなのだから、「高齢者が年金だけで安心できる社会」とは「その分現役世代が不満をもつ社会」と同じことだ。

仮に赤字国債発行による財政支出で年金支給額を多くしても、あるいはインフレ調整で年金額を増加させても、物・サービスの供給力に制約があって総量が変わらない限り、インフレを招くだけで、国民全体の購買力は変わらない。

個人の対策として有効である将来に備えての貯蓄は、国単位でみても無意味というわけではない。国内資産を増加させてもあまり意味がないが、対外純資産の増加は将来海外から物・サービスを購入することで、実質的に物・サービスの供給を増やすことにつながる。だがどのような物・サービスでも海外から輸入可能なわけではないし、対外純資産を増加させる過程での巨額の対外収支黒字は諸外国との摩擦を起こす懸念もある。

結局、年金問題を国単位で考える場合、政策としてやるべき一丁目一番地は、将来の物・サービスの国内生産力を高めることだ。そもそも長寿化にもかかわらず、現役期間がさほど延びていないことが問題なのだ。長くなった人生において、働く期間と老後の期間の割合をリバランスするしかない。

幸い、長寿化に伴い、健康な期間も長くなっている。もう一つはやはり若い人の生産力を高めることだろう。長時間労働ではなく、教育によって知的生産力を高めるという意味だ。年金で不毛な議論をしている時間があれば、「高齢者が長く働ける環境の整備」や「人材育成」についての議論に時間を費やすべきだ。

将来の物・サービスのパイを増やすことで、はじめて「高齢者が安心できる社会」と「現役世代が不満を持たない社会」の両立が可能となるのだから。

松浦  克彦(まつうら かつひこ)アセットメネジメント会社 役員
1963年生まれ。金融機関勤務を経て、現在不動産系アセットメネジメント会社の取締役