痴漢被害は制服に原因?家父長社会的な意識の改革を --- 丸山 貴大

2019年6月5日、埼玉県にある川越駅において、痴漢防止キャンペーンが行われ、地元の山村学園高校の女子生徒ら約90人が参加した。埼玉県警鉄道警察隊は、女性が薄着になる毎年6月、痴漢防止キャンペーンをしているそうだ(参照:朝日デジタル『「痴漢やめて」電車通学の女子高生ら訴え 90人が集結』)。

atacamaki/flickr:編集部

薄着になる夏場は痴漢の被害が増える。そのようなことをよく耳にするが、その意味することは何か。

2019年6月29日付『朝日新聞』の読者投稿欄「声」に「娘よ 短いスカートは反対です」という投書が掲載された。本投稿には、高校生の娘が校則で膝丈と決まっている制服のスカートを10cmも切ってしまったことに対する母親の想いが綴られている。

それは典型的なパターナリズムである。だが、投稿にはそれ以上に非常に気がかりな箇所があった。それは「通学時に繁華街を通り抜けるので、酔っ払いや怪しい大人に遭遇することもある。肌の露出が多い格好は危険である」という一節だ。

これまた典型的なセカンドレイプである。性暴力事件が発生した際、被害者が露出の多い派手な服装をしていたことを引き合いに出し、被害者バッシングを行う構造が本投稿に潜在的なものとして垣間見える。

あらゆるハラスメントを社会からなくすことを目的として活動している#WeToo Japanが公表したハラスメント被害の調査結果(参照:ビジネスインサイダー『「痴漢被害は制服に原因」「女性はTwitterで被害」ハラスメント実態調査』)によると「露出が高い服を着ている人は、痴漢にあっても仕方がない」という設問に対して、男性の39.2%、女性の45.6%が「そう思う、どちらかと言えばそう思う」と回答した。

そのような考えの根幹について弁護士の太田啓子氏は、あすわか・前川喜平著『イマドキ家族のリアルと未来』(かもがわ出版)において「家父長社会的な意識が潜んでいます」(47頁)と述べている。つまり、女性は貞操を厳格に守るべきであり、それを怠ったことは社会の風紀、性秩序を乱すものと捉えられているということだ。

投稿者の「肌の露出が多い格好は危険である」という言葉は被害者の落ち度を指摘するものだ。無論、2019年6月8日に放送されたETV特集「性犯罪をやめたい」においても加害者の口から語られたように、特定の服装が引き金の一つになることもある。

先に述べた調査によると、中学生時代のスカートの長さを「長くしていた」「普通」「短くしていた」の3カテゴリに分け、痴漢などの被害経験率との関連も調べたが、両者に関連は見出せなかったそうだ。

また、体を触られる被害の経験率は、私服だった人が約30%なのに対し、ブレザー・セーラー・その他制服を着用していた人は制服の種類に関わらず約50%にものぼった。つまり、制服そのものが被害を誘発していると結論づけられる。

そのように考えると、制服を撤廃することも考えられる。だが、服装の種類を理由に犯罪が正当化されるはずはない。個人の性欲、支配欲、孤独感等の感情はセルフコントロールしてしかるべきだ。それらを別の行動に置き換えて消化したり、ホルモン治療をしたりして、犯罪に走らないよう対策を講ずるべきだ。

個人の性的尊厳が置き去りにされている今日、アナクロニズム的な考えにより、偏狭な男社会の支配を更に優位なものへと誘発させるだろう。憲法や条約により女性の権利がいくら保障されていても、市井においてそれらを覆すような風土が根強く残っているようでは、実質的な人権保障にはならない。

政治による制度が構築されたとしても、それが運用される社会において効果的且つ実質的なものであるためには、社会構成員一人ひとりの意識改革が必要不可欠である。しかし、先の投書や調査結果が示すように、性犯罪における被害者の自己責任論が男女問わずに展開されがちだ。

本来、自己決定権の範疇である服装の自由及び個人の尊厳は如何にして守られるのだろうか。元号が平成から令和に移ったとしても、社会における時代的感覚は昭和のままである。そのような悪しき習慣が親から子へと引き継がれ、今日に至ってしまっている。

平成31年度東京大学学部入学式の祝辞で上野千鶴子氏が4年制大学進学率について、女性よりも男性の方が高い理由として「『息子は大学まで、娘は短大まで』でよいと考える親の性差別の結果です」と述べたように、親世代の無意識な性差別が存在するのだ。

また、近年、大学の医学部において性別を理由とした不正入試が行われた。これは言語道断であり業腹な悪行である。「男女共同参画社会基本法」(平成11年法律第78号)第2条1号において「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会を形成すること」と定義された「男女共同参画社会の形成」を阻害する愚行でもある。医師という分野に従事する機会を公然と剥奪する権利が何処にあるというのだろうか。

このような事態が「教育基本法」(平成18年法律第120号)第7条において「学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする」と定められた大学において起きたことは、社会に対する大いなる裏切り行為である。

また「男女共同参画社会基本法」の第10条には国民の責務として「国民は、職域、学校、地域、家庭その他の社会のあらゆる分野において、基本理念にのっとり、男女共同参画社会の形成に寄与するように努めなければならない」と努力義務規定がある。その土壌でもある大学が率先して女性医師の社会進出を後退させている愚かな現実がある。恥を知れ、と声を大にして述べたい。

我々はそのような現実にまずは、各人が気付かなければならない。そして、そのような慣習を伝統という名において矮小化させてはならない。永久不可侵の基本的人権を保障するために、我々は進歩しなければならない。そして、声を上げなければならない。不当な侵害に対しては毅然と向き合い、正々堂々と尊厳と権利を掲げていくことが、それらの確立への一歩となる。

社会における漠然とした「空気」がそれらの価値を低下させ、葬り去ってしまう。そのような同調圧力に屈してしまっては、法の実効性が担保されない。時代が進むにつれ、それに応じた法整備がなされる。しかし、国民の意識は今ひとつ追いついていないように感じられる。その遅れを取り戻すべく、民主主義のダイナミズムである国民的議論を活発化させ、社会的合意形成を丁寧に構築していくことが重要である。

丸山 貴大 大学生
1998年(平成10年)埼玉県さいたま市生まれ。幼少期、警察官になりたく、社会のことに関心を持つようになる。高校1年生の冬、小学校の先生が衆院選に出馬したことを契機に、政治に興味を持つ。主たる関心事は、憲法、安全保障である。