政権与党にせよ野党にせよ、あるいは「第3極」と呼ばれる勢力が政治活動を活発化させている。あるともないとも言われていた会期末の衆議院解散は見送られ、これから更に夏の参院選に向けた動きが更に加速するだろう。そうした流れの中、政権与野党・第三極を問わず。「過激な言葉遣いや提言」が増えてきたことには、個人的に強い危機感を覚える。
そうした言説は、「小気味良さ」を伴う。従来の言論空間では立ち現れて来なかった急進性に惹かれ、閉塞感を打破してくれるのではないかという期待から、そうした言説は時として広範からの支持を受ける場合もあるだろう。特に、様々な事柄が連続的に変化を続け、『見通しの悪い時代』においては、より一層そうした支持が拡大する余地は生まれやすい。
そうした支持が、例え民主体制の中であっても拡大をすると、見通しの悪さを孕む民主体制に変わる『新体制』を求める動きが勃興する。 歴史を紐解けば、イタリア王国におけるファシスト党、ドイツ・ヴァイマール共和政下で支持を拡大した国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が政権を奪取した事は指摘するまでもない。あるいは近年欧州で急速に支持を拡大する「極右・極左」の政治勢力についても、権力の座に着くまでは行かないまでも、一定程度の支持を得ている事は看過できない事実である。
「反対討論」と国民政党・自民党
6月24日に行われた、野党4党が提出した内閣総理大臣問責決議案に対する反対討論に際して、自民党・三原じゅん子参院議員の演説における文言がSNS等で大きな話題となっている。氏の討論全体を否定的に捉えている訳ではない一方、「常識はずれ、愚か者の所業とのそしりは免れません!」「もう一度改めて申し上げます。恥を知りなさい」といった部分の言葉遣いに関しては、率直に言って違和感を拭得ない。
民主党政権誕生まで期待されていた「二大政党制」を志向する動きが明らかに鈍り、旧民主党系の政党も離散集合を繰り返している。そうした野党に対して『常識外れ』『愚か者』と喝破する様に、コンテンツとしての”小気味良さ”がある事は、想像に難くない。
ただ、同日の自民党役員会後の記者会見の質疑応答の中で「内閣不信任案の提出について、どのように受け止めているか」という質問に対して、萩生田幹事長代行から「提出されれば、粛々と否決して行くのみです」との回答があった事をに思いを致せば、内閣不信任案とは違い法的拘束力を持たない問責決議案の審議に際しては、より一層、粛々と否決をすれば良かったのではないだろうか。
問責決議案を提出した立憲民主党や国民民主党に関して、現有議席が自民党に遠く及んでいない事は紛れもない。しかし、国会議員が主権者たる国民1人1人が票を投じた結果として選出されている事を鑑みれば、国会議員ないしは政党に対する批判は、理性的かつ冷静なものとし、分断を煽る様な文句は慎むべきだろう。況や、仮にしも自民党が『国民政党』を標榜する(*1)のであれば、尚更ではなかろうか。
“社会党”化する野党と第3極の勃興
他方、立憲民主党を中心とする野党の対応も残念なものが多い。先日発表された参院選に向けた立憲民主党の選挙公約は、極めて理念的な文言が並ぶものであった。民主党による政権交代の反省を踏まえてか、具体的な数値目標はいざ知らず、財政検証等が加わった形跡も多くは見られない。少ない数にせよ残っている数値目標についても、「5年以内に最低賃金を1300円に引き上げる」「2030年までに石炭火力発電所の全廃を目指す」など、極めて理想主義的なものが並んでいる。
最低賃金の引き上げや石炭火力発電所の全廃と言った政策目標は、一面的には理想的なものであり、無論「絶対悪」と言うべきものではない。他方、2002年に708円(東京)であった(*2)最低賃金が、その後17年をかけても現在985円(東京:2018年10月1日)である(*3)ことを考慮すれば、今後5年以内に1300円を目指す事は、一般的に見て困難である事は容易に想像が着くであろう。
また、石炭火力発電所の全廃も、二酸化炭素排出量の縮減という観点からは好ましいものであろうが、原子力発電所の再稼働が進まない、あるいは再生可能エネルギー発電に関する諸々の課題が示されている中においては、現段階で『絵空事』に近いものと指摘せざるを得ない。
立憲民主党が野党第一党として政権交代を志向しているのであれば、絵空事な数値目標を掲げる事で支持者からの『ウケ』を狙うのではなく、実現可能な数値目標を掲げた上で、そこに向けたロードマップを示していくことが必要ではなかろうか。
そして、筆者(栗本)自身は、旧民主党系に対する批判的論調を強める自民党、政権担当政党としては政策的に心許ない野党第一党としての立憲民主党などの間隙を縫う形で、山本太郎氏率いる「れいわ新選組」や立花孝志氏率いる「NHKから国民を守る党」といった政治団体が支持を急速に拡大するのではないかと危惧している。
こうした政治団体の主張は、一面的には斬新なものに聞こえる事から、今般の閉塞感を打破してくれるのではないかという期待を持ちやすい。しかしながら、彼らの政策に実現可能性はあるのか、吟味が欠かせない事は敢えて主張しておきたい。
翼賛体制から何を学ぶか
本邦においてもかつて「新体制運動」の名の下に、イタリアやドイツにおける全体主義的風潮の影響を受け”一国一党”を志向する『大政翼賛会』が組織された。そして、翼賛会が、1940年以降の戦時体制下で相当程度の指導的役割を果たしていた。今日の研究では、大政翼賛会の実相は、必ずしも一国一党体制と一致するものではなかったとの指摘もなされているが、全政党が自発的に解散を行い、翼賛体制に与した事は、忘れることのできない歴史的事実であろう。
遡って1937年の日中戦争開戦以降、「臨時資金調整法」や「輸入品等臨時措置法」などに代表される自由経済への統制、更には1938年の「国家総動員法」の制定などを通して、事実上の計画経済が実現された背景には何があったのか。無論、単一の要因に絞る事は不可能ではある。
ただ、1931年の満州事変以降、広範な国民からの支持があった事は言うまでもない。広範の国民からの支持があったからこそ、例えば朝日新聞は、営業面への考慮から『反軍・リベラルの社是』を1931年10月に転換し、軍部擁護の論調を展開する様になった(*4)のであろう。
こうした歴史から学ぶべきは、斬新で耳当たりの良い言説は、「閉塞感溢れる環境」において、大衆の間で爆発的に一般化し、暴走を始めるという構図であろう。暴走を始めた後に行き着く先には、決してユートピアは存在しない。だからこそ、政権与党、野党、あるいは第三極に対して、批判的な視点を失ってはならない。批判なき盲目的追従の先に、破滅が口を開けて待ち構えているかもしれないのだから。
栗本 拓幸(くりもと ひろゆき)慶應義塾大学総合政策学部/NPO法人Rights
1999年生まれ、慶應義塾大学総合政策学部在学。行政におけるテクノロジー活用、若者の社会参画などの分野で研究と実践。(一財)国際交流機構をはじめ複数の法人で理事他、液体民主主義の社会実装を進めるLiquitous Corp.を設立。YouTubeやブログなどで発信など。
*1:自由民主党 立党50年宣言による
*2:平成14年度から平成29年度までの地域別最低賃金改定状況(厚生労働省)を参照
*3:平成30年度地域別最低賃金改定状況(厚生労働省)を参照
*4:『朝日新聞の大研究―国際報道から安全保障・歴史認識まで』(古森義久ほか/扶桑社)など