参議院選挙がスタートしました。国民民主党は「家計第一」をかかげて戦います。約7年間の安倍政権の経済政策についての総括を前提に、私たちは、家計を第一に持続可能な経済をつくっていきたいと思います。
アベノミクス三本の矢は異次元の金融緩和と財政のバラマキが大きな柱でした。消費者物価を2年間で2%に引上げるために、市場に供給するマネーを2倍にし、国債の買入れ額も2倍以上引上げるというアナウンス効果で、スタートダッシュはうまくいきました。
株安、円高を演出し、その後も、日本銀行に株(ETF)を買わせたり、公的な年金の積立金(GPIF)で株価を支える施策を続け、資本市場のマーケット機能をこわしました。それでも、2%の物価上昇目標が達成できなくなると、マイナス金利まで導入しましたが、結局、消費者心理を冷え込ました上、地方銀行の半数が本業で赤字になるだけでした。
機動的な財政出動と言うともっともらしいですが、要するに財政規律を無視して財政のバラマキを行っただけでした。その上、消費税の引き上げも2回延期するなど、プライマリーバランスを黒字化するという目標はあっさり放棄。財政出動は、いわば需要の先食いですから、経済の生産性には何ら影響を与えません。むしろ、生産性の低い公共土木事業に資源配分を厚くすることで、社会全体の生産性を低下させます。金融政策でも生産性を上げることはできません。その結果、この間、潜在成長率そのものを引上げることはできませんでした。経済効率等を反映している全要素生産性(TFP)は2011年をピークに下がり始め、安倍政権下では一貫して下がり続け、0.1%程度に落ち込みました。
三本の矢の三番目は成長戦略でした。金融政策、財政政策で時間を稼いでいる間に、生産性を上げるという説明でしたが、上述の通り、7年経っても「道半ば」です。当初の円安で企業収益は増えましたが、輸出数量を増やすのではく、現地価格を据え置いて収益を増やしただけですから、国内に需要は生みませんでした。円安は、原油や食料品などの輸入価格を引上げ、消費者のふところを痛ませました。一方で、実質賃金のマイナスが続きましたから、消費が伸びるはずもありません。
安倍総理は、雇用関係の指標の好転を自慢します。しかし、失業率が下がり、有効求人倍率が増えたのは、生産年齢人口の減少という人口動態の構造的変化によるものです。アベノミクスの成果ではありません。まさに団塊の世代が大量に引退した結果、女性や高齢者などの労働時間の短い労働者が増えましたから、総労働時間は変わらず、賃金の上昇は限定的です。
ある意味、日本経済は完全雇用の状態にあるわけです。しかし、完全雇用の状態にあるのであれば、財政バラマキや、金融緩和で将来にツケを回す政策は不要なはずです。
アベノミクスの三本の矢が行き詰まると、今度は「新三本の矢」の登場です。まず、希望を生み出す強い経済―2020年にGDP600兆円。そして、夢を紡ぐ子育て支援―出生率1.8。さらに、安心につながる社会保障―介護離職ゼロ。しかし、これらの3項目は政策でなくて、目標です。GDP600兆円はまったく達成できない数字です。出生率はここ3年下がり続けています。介護離職ゼロは単なるスローガンで、2017年の介護離職者は約9万人と増えている状況です。
安倍政治は、このような「やってる感」だけのキャッチフレーズが踊ります。やれ「一億総活躍」だの、やれ「女性活躍」だの、検証不可能な言葉の羅列ですが、今は誰も言いません。「プレミアムフライデー」にいたっては、覚えている人もいないのではないでしょうか。
今、MMT(Modern Monetary Policy)という理論が注目されています。自国通貨建ての国債を発行できる政府は財政規律を守らなくても、インフレになるまで債務を発行し続けてかまわないと言うのです。インフレになりそうになったら、増税など緊縮財政にすればコントロールできると言います。それが正しいかどうかはさておき、今の日本はまさに、MMTの実験場です。
日本銀行が国債を買い続けています。その結果、国債残高の約半分の476兆円を日銀が保有。この過程で、新規発行額よりも日銀の購入額が上回ることもあり、政府の放漫財政を日銀が支えている、いわゆる財政ファイナンス状態です。マイナス金利政策で国債金利も低く抑えられていますから、利払い費も増えません。ますます財政規律をゆるめることになりました。
これが可能なのは、家計と企業の預金があるからです。個人は将来不安に備えて、苦しい中でも預金を増やします。企業も内部留保を増やしていますから、そのお金を担保に日銀が国債を購入できるのです。
高齢化に伴い家計の預金の増加が止まり、企業が投資を始めれば、日本版MMTは、いずれはかなく消えていくしかありません。タダのランチはありません。その意味では、MMTを唱える学者もインフレが起きるまでと限定しており、いつまでもMMT日本版を続けることができないのは自明の理です。増税もせずに、中央銀行がお札を刷って国の財政がまかなえるのなら、ローマ帝国や大英帝国もやったはずです。
今の日本は、ディズニー映画のように、急流に浮かぶいかだの上でミッキーマウスとドナルドダックが悪漢となぐり合いしている先に、大きな滝が待ち構えているようなものです。
出口戦略のないまま、日銀は国債購入と株の買い支えを続けています。国債の買入こそスローダウンしていますが、これはマーケットから買えなくなる事態を先のばしするためです。国債は満期がくれば自動的に現金に変わりますが、株は売らない限りバランスシートから消えません。日銀が手持ちの株を売った瞬間に、東証株価は暴落しますから、当面売れません。日経平均が1万8千円を割ると日銀保有のETFは赤字になると言われています。
その赤字は国民の税金で補てんするしかありません。中央銀行が債務超過になれば、その国の通貨の信認は得られず、円安、高金利、超インフレにつながるリスクが生じます。
持続可能性のある経済のためには、急ブレーキは踏めませんが、徐々にオーソドックスな金融・財政運営に戻すことが必要です。魔法の杖はありません。日銀保有のETFは日銀のバランスシートからはずしてファンド化し、時間をかけて売却するなど出口戦略を今からスタートさせ、政府、日銀の専門家の英知を結集すべきです。
景気対策としては、児童手当の増額や家賃補助、低年金者への給付金など家計を温めるように、消費性向の高い低所得者層に手厚い政策にウエイトをかけるべきです。具体的には、児童手当の対象を15歳までから18歳までに拡充し、給付も全員月額1万5千円にします。
また、年収5百万円以下の世帯に月額1万円の家賃補助制度を創設します。低所得の年金生活者に最低月額5千円の給付金を支給します。最低賃金は全国どこでも時給千円以上を目指します。家計を豊かにすれば、GDPの6割を占める消費が活発になり、内需中心の持続可能な成長を実現できます。
グローバル企業が、激しい世界競争の中で、発展することは大いに結構なことだと思います。しかし、グローバル企業には、「国民経済」という観念はありません。世界経済がグローバル化する前には、企業も政治家も官僚も「国民経済」の発展を考えて行動していました。頑張って売り上げを伸ばし、利益を上げ、従業員の給料をあげれば、消費が増えて日本経済に好循環が生まれます。高度成長の時代ですら、GDPに占める輸出のウエイトは高くなかったのです。輸出企業が儲けて、社員さんのボーナスを増やせば国内産業が潤ったのです。
しかし、そのような幸福な時代はグローバル経済の進展によって終わりました。企業はコストカットのために、非正規労働者を増やし、正社員の賃金を削りました。この20年間、企業収益が増加しても、トータルの人件費と設備投資は横ばい。株式配当と内部留保だけが増えていきました。グローバル企業が「国民経済」を考えないのは当たり前のことかもしれません。
今一度、「国民経済」の復活を考えるべき時です。そのためには、中長期的に社会の在りようを変えていくことが必要です。成熟した日本経済において高い経済成長を目指す必要はありませんし、そもそも無理があります。成長を否定するつもりはありませんが、アベノミクスが前提とする効率最優先の「一億総株式会社化」は、人々の心の荒廃をもたらしただけです。
協同組合のような参加者の利益や自己実現を尊重する生き方をもっと大切にしてはどうでしょうか。地域では、若者がNPOなどをはじめとして社会起業家として活躍しています。すべてを「自己責任」原則で割り切り、弱者を切り捨てる政治から、価値観の多様性を認め、寛容で包容力のある社会をつくっていくべきです。
日本はまだまだ性別や年齢、障がいなど自分の努力では変えられないことでチャンスの少ない国です。全ての人が同じスタート地点に立てるようにすることが、日本の潜在成長力を上げることにつながります。そのための財源は、公平と公正の原則の下で、金融課税、累進課税、消費税の引き上げなどと同時に、社会保障予算の合理化などのポリシーミックスで賄うほかありません。
フリーランチも無ければ、打ち出の小槌もないという当たり前のことを正直に国民に訴えていく愚直な政治を目指します。
編集部より:このブログは衆議院議員、岸本周平氏の公式ブログ、2019年7月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は、岸本氏のブログをご覧ください。