人は死ぬまで秘密を保持することは難しい。例えば、ウォーターゲート事件(1972年6月~74年8月)の場合でもワシントン・ポスト紙記者に情報を流した情報源「ディ―プ・スロート」と呼ばれた内部情報提供者(マーク・フェルト当時FBI副長官)は「自分だ」と告白してから亡くなった。死ぬ前に、生きている世界での秘密を明らかにし、決着をつけて別の世界に旅立ちたいという衝動に駆られるからだろうか。秘密を自分の墓場まで持っていく人間は案外少ない。
ところで、医者や弁護士には職業上、患者やクライアント(依頼人)の情報を他言してはならない守秘義務がある。ローマカトリック教会の聖職者にも同様の義務がある。告白の守秘だ。信者が告解室で語った内容を他に漏らしてはならない。しかし、聖職者の未成年者への性的虐待事件が多発し、教会への信頼が著しく傷つく一方、教会上層部が性犯罪を犯した聖職者を隠蔽してきたという実態が明らかになった結果、聖職者の告白の守秘義務を撤回すべきだという声が高まってきた。
一人の神父が信者から犯罪行為、性的犯罪を告白されたとする、神父は即警察当局に連絡すべきか、それとも信者の懺悔は神への告白であるから、その秘密を他言しないか、の選択を強いられる。聖職者の未成年者への性的虐待事件が多発して以来、この質問は教会内外で頻繁に問われてきたテーマだ。
米教会では過去、数万件の聖職者の未成年者への性的虐待事件が発生してきた。それを受け、告解の守秘義務、赦しの秘跡(サクラメント)の死守は次第に厳しくなってきている。
米国カルフォルニア州で告解の守秘義務を廃止すべき内容を明記した関連改正法が提出され、州上院では採択されたが、議会公共安全委員会で否決されたばかりだ。
提出された改正法案(SB360)では、聴罪神父が性的犯罪を信者から聞いた場合、警察当局に即連絡することを義務づけるという趣旨だ。それに対し、ロサンゼルスのペーター・ゴメツ大司教は、「アメリカ国民の良心への脅威だ」と警告。カトリック教会以外の他の宗派でもSB360に反対を表明し、「信教の自由」への攻撃だという共同声明が作成された経緯がある。
ローマ・カトリック教会の信者たちは洗礼後、神の教えに反して罪を犯した場合、それを聴罪担当の神父の前に告白することで許しを得る。一方、神父側は信者たちから聞いた告解の内容を絶対に口外してはならない守秘義務がある。それに反して、第3者に漏らした場合、その神父は教会法に基づいて厳格に処罰されることになっている。告解の内容は当の信者が「話してもいい」と言わない限り、絶対に口外してはならない。告解の守秘はカトリック教会では13世紀から施行されている。
カトリック教会では、告解の内容を命懸けで守ったネポムクの聖ヨハネ神父の話は有名だ。同神父は1393年、王妃の告解内容を明らかにするのを拒否したため、ボヘミア王ヴァーソラフ4世によってカレル橋から落下させられ、溺死した。
バチカン・ニュースは今月1日、法王庁裁判所がまとめた文書を掲載し、「告白の他言を厳格に禁止してきたが、デジタルな世界の今日、フェイクニュースが広がり、全ては秘密にしておくことが難しくなってきた。そのような状況下で、世論の声が最終審判の声といった感じが強まってきた。世論の声にカトリック信者たちも影響を受けてきた。その結果、全てに透明性を重視すべきだという論理になるわけだ。告白の守秘義務は危機に直面している」と指摘している。
バチカンの立場は明らかだ。赦しのサクラメント(秘跡)は完全であり、傷つけられないもので、神性の権利に基づいているというわけだ。例外はあり得ない。それは告白者への忠誠というより、この告白というサクラメントの神性を尊敬するという意味からだ。その点、信頼性に基づく弁護士や医者の守秘義務とは違う。告白者は聴罪神父に語るというより、神の前に語っているからだ。
なお、告白の守秘は悪(悪行)を擁護する結果とならないか、という問いに対し、「告白の守秘義務は悪に対する唯一の対策だ。すなわち、悪を神の愛の前に委ねるからだ」という。果たして、その説明で教会外の世界で理解を得られるだろうか。繰り返すが、聖職者の未成年者への性的虐待の多発、その事実を隠蔽してきた教会上層部への教会内外の信頼は地に落ちているのだ。聖職者の前に告白する信者が減る一方、告白の守秘義務の撤回を求める声が高まってきたのはある意味で当然の流れだ。
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「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年7月17日の記事に一部加筆。