「若者よ、選挙に行くな」が、話題になっていたが育児・家事と仕事に追われ忙しかったので、やっと見た。そうか、これが反響を呼んでしまうのか。世も末だ。
問題提起しようと思った姿勢だけは評価しよう。
ただ、20代の若手論者が提起した割には、論点が全国紙の社説のようで、目新しさがない。中高年のお説教を聞いているようなものである。中高年の男女に言わせるというアイデアは斬新そうで、響くものなのか。率直に、筋もセンスも悪いなと感じた次第だ。
もちろん、このコミュニケーション設計でたかまつ氏がターゲットとした人がアクションを起こしたのなら話が別だが。評価するのは、私のような中年だけではないわけで。ただ、若者が選挙に行かない根本的な問題に踏み込まなかったのが、なかなか残念だ。
井戸まさえさんがFacebookの公開投稿で指摘していたが…。
「あなたは、存在しない人」という表現を、どれだけの覚悟で使ったのだろう。いや、注目をひきたい意図なのだろう、きっと。ただ、これは透析患者に対して暴言を吐き「注目を集めたかった」と釈明した長谷川豊と同じ筋の悪さを感じてしまった。注目をひくためならなんでもいいという最近の炎上CMと同じではないか。
結果として、この手の「選挙行こうぜ」運動は、投票に行く有権者ではなく、この手のことを煽る人をヒーロー・ヒロイン化するツールに見えてしまう。
まあ、とはいえ、話題になったので、少なくとも、たかまつ氏は大成功なのだろう。いや、本来はこれで投票率が上がったら良いのだけど。
その点、今朝の朝日新聞「耕論」欄は秀逸だった。
(耕論)投票行かない、その心は 泉麻人さん、三春充希さん、吉田徹さん:朝日新聞デジタル
選挙に行くべき理由も、行かない理由も複雑である。三者三様の意見で、見事にとらえている。
いかにも老害の説教風に見えてしまうまとめではなく、当事者としての複雑な感情を表現してくれたらよかったのにと思う。
そういえば、先日、「日本の何を変えたいか?」というテーマで学生たちと議論した。
「同性婚解禁」
「学費を下げて欲しい(可能なら無料に)」
「消費税を上げないで」
「賃金を上げて欲しい」
「これ以上、アルバイトしなくてもいい社会に」
「ブラック企業撲滅」
「就活見直し」
「TATOOを容認」
「リクルートスーツ廃止」
「同調圧力をなんとかしたい」など。
彼ら彼女らの切実な悩みが感じられる。真面目な話でみんなで盛り上がった。
もちろん、
これらの問題の解決策は簡単ではない。
Facebookに投稿したところ、よく読まれ、シェアされた。
一部のコメントがあるとおり、これらの課題を解決しようとすると副作用が生まれたりもする。たとえば、高等教育の無償化などは悩ましい問題だ。目の前に奨学金返済で悩んでいる学生がおり、切実な問題だと認識している。
もっとも、
大学のますますのユニバーサル化が進まないか、問題の先送りではないか、「無償化」の名のもとますます大学が文科省の支配下におかれるのではないか、大学の「社畜予備校化」が進まないかそもそも国際比較した場合に、日本の大学は高いといえるのかなどなど論点は多数ある。とはいえ、まず、彼ら彼女らが、何を問題だと捉えるのか、考え、声をあげたことを評価したい。
問題は自分たちでは解決できません。だから、国や自治体、企業、NPO、さらには専門家や論者などが活躍する。だから、選挙に行く。
しかし…。彼ら彼女らがあげた問題点は、政党が公約として掲げていたりもする。もちろん、「公約は口約」という言葉もあるとおりひっくり返る可能性もあるし、実行できるのか否かという問題もある。選挙制度そのものの問題も。さらには、このような問題を政治が解決してくれると思われていないとも言え。
社会の変え方も変えないといけない。社会を変えるをマーケティングツール、売名行為にしてもいけない。
というわけで、このセンスがいまいちな動画が拡散すること自体に、日本の末期症状を感じてしまったが、こういうことで「世も末」と言うのは違い。短期の悲観と長期の楽観を大切に、私は選挙に行く。社会を変えるために、まず目の前の仕事をする。
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2019年7月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。