国会に登院できない障害者の対応は慎重な議論が求められる

尾藤 克之

元衆議院議員の早川忠孝先生が「国会議員の介助の費用は、れいわが持つべきじゃないかな」と投稿されています。筆者は障害者支援活動を30年以上実践(小学生の頃から)している立場として、私見を述べたいと思います。

れいわ新選組ツイッターより:編集部

擁立した政党が負担すべきではないか

まず、重度障害者の方が国会議員としての職責を果たすためには介助者が必要だということは理解できます。しかし、「8月1日までに結果をいただけなかった場合は、私たちは登院することができません」という発言はいささか問題があります。

これは、早川先生も指摘するとおり「重度訪問介護サービスを受けられないと実際には登院も出来ない」と訴えられているのだと考えられます。しかし、これは候補者として擁立した政党が知恵を出すべき問題ではないでしょうか。

当選者の2人は重訪問介護のサービスを受けています。働きはじめるとこのサービスは受けられなくなります。介護保険サービスを受けるための限度支給額は要介護度によって異なりますが、限度支給額を上回る場合は全額利用者負担がルールです。

日本国憲法では前文で「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」と記載されています。また、国会議員は任期中において選挙民の意思を反映した行動をとることが原則となります。そのため多くの特権や手当てが存在します。

特に歳費と手当てに関しては庶民感覚とズレがあるとして多くの意見があります。今回、介護費用に係る費用はすべて血税です。問題提起は必要ですが、可否を含めて慎重が議論が求められます。また、登院をすることは、当然の義務であって、できないことで制度を変えることは好ましくありません。

障害者支援のあり方が変わるかも知れない

心身に障害をもつ人が社会参加を果たすためには、さまざまな「壁」があります。物理的な壁や制度上の壁は、政治や行政の努力で取り除くことができます。しかし偏見や差別など、社会に根付いている「心の壁」を取り除くためには、社会福祉の概念を根本的に見直す必要性があり、それは社会を変革するという時間のかかる課題です。

障害を持つ人たちが社会構成員の一員として、社会の恩恵を等しく受けることができるノーマライゼーションを実現するには、社会福祉や社会のあり方の概念を変革する途方も無い作業が必要になります。そこに生きる人の心が貧しい社会であっては、ノーマライゼーションを創造し実現することはできません。

筆者は、「れいわ新選組」を支持するものではありません。しかし、多くの人がこの問題を認識する必要性があると感じています。日本において障害者は陰で生きることを強いられてきました。今回、2人の障害者が国会議員になったことは大きな意味があります。山本太郎氏の国民の意識を変革させようとする強いメッセージを感じます。

なお、筆者は表記について「障害者」を使用し、「障がい者」は使用しません。過去に、多くの障害者が権利を侵害されてきた歴史が存在します。それらの歴史について、言葉を平仮名にすることで本質が分かりにくくなる危険性があるため「障がい者」を使用しません。障害者政策は私たちにとって喫緊の課題です。

尾藤克之(コラムニスト、明治大学サービス創新研究所研究員)
14冊目となる著書『3行で人を動かす文章術』(WAVE出版)を上梓しました。