公共調達のあり方に重大な影響を与える“国循事件控訴審判決”

国立循環器病研究センター医療情報部長だった桑田成規氏が、大阪地検特捜部に官製談合防止法違反で逮捕・起訴された「国循事件」の控訴審判決が、明日7月30日に言い渡される。

昨年8月、控訴趣意書提出の時点で、それまでの捜査公判の経過と検察捜査の問題点を、ブログ記事【“国循事件の不正義”が社会に及ぼす重大な悪影響 ~不祥事の反省・教訓を捨て去ろうとしている検察】で明らかにし、【控訴趣意書】は、事務所HPで公開している。

また、大阪高裁での控訴審の2回の公判期日の状況と、そこでの検察官の対応が、どのようなものだったのかについては、【正義の「抜け殻」と化した検察官~国循事件控訴審、検察「弁論放棄」が意味するもの】で述べている。

事件の舞台となった国立循環器病センター(Wikipedia:編集部)

大阪地検特捜部にとって、不祥事以降初めての「本格的独自捜査事件」

大阪地検特捜部が、村木厚子氏の事件で「冤罪」が明らかになったことに加えて、証拠改ざん問題まで発覚して厳しい社会的批判を浴びて以降、初めて手掛けた「本格的検察独自捜査」が、この国循事件だ。贈収賄事件の立件を目論み、強制捜査に着手したものの、失敗に終わり、一連の不祥事を受けての検察改革で打ち出された「引き返す勇気」をもって捜査を打ち切るべきだったのに、組織の面子のために、本来犯罪とすべきではない国循の情報システムの発注手続の問題を無理矢理刑事事件に仕立て上げ、桑田氏を逮捕・起訴した。

村木事件は、「証拠」の問題であり、「事実」の問題だった。そこに、大阪地検特捜部の重大な「見込み違い」があり、検察のストーリーを押し付ける不当な取調べに加えて、「証拠改ざん」という問題まで起きた。

一方、国循事件の問題は、検察の「判断」の問題だ。経済社会では様々な事象が発生する。その中で、何を刑事事件として取り上げ、処罰の対象にすべきなのかについての判断は、基本的に検察に委ねられている。検察が判断を誤り、刑事事件とすべきではない事件を刑事事件として取り上げた場合、経済社会の中で多数発生している同種の問題が、広く刑事立件として、処罰の対象とされることになり、重大な社会的影響が生じることになる。

国循事件では、不当な起訴に対して検察内部での組織的なチェックが働かなかったばかりでなく、2年にもわたる審理の末、懲役2年を求刑し、一審裁判所は、それに盲従した判決を出した。控訴審では、その検察の捜査・起訴と一審裁判所の判断に重大な誤りがあることを徹底して主張した。

そもそも、検察組織内部で、「何を刑事事件にすべきか」、「何が悪いのか」について最低限の常識が働いていれば、このようなことは起こり得なかった。

犯人ではない人間、事件と無関係の人間が犯人とされ、逮捕・起訴されるという「冤罪」は、後から証拠を探せれば白黒がはっきりするので、世の中にわかりやすい。そういう事件と無関係の人間に対する「冤罪」が、普通の社会生活を営む人間に、いきなり降りかかるという事態はそれほど多くは発生しない。

一方、特捜部の事件の問題は、事件と無関係の人間がいきなり逮捕、起訴されるという形での「冤罪」ではない。問題になるのは、それが「犯罪」に当たるのか、「犯罪」とすべきなのかという「評価」であり、その「評価」自体と、それを根拠づける「事実」の存否が正しかったのかどうか、なのである。

桑田氏は、極めて有能な医療情報学の専門家であり、その能力を最大限に活かし、鳥取大学医学部での電子カルテシステム構築で大きな成果を挙げ、電子カルテ導入が難航していた国循に、医療情報部長として就任し、めざましい成果を挙げた。まさに、大規模医療機関において、多くの患者の生命と健康を守るために、医療情報システムが確実に機能するよう最大限の努力を行い、成果を挙げてきた人である。

桑田氏のような人が、刑事事件で逮捕・起訴され、処罰されることがあり得るとすれば、この世の中で、前向きに改革の意欲を持って職務に取り組んでいる人には少なからず「言いがかり」をつけられて、刑事事件に巻き込まれるリスクがあるということになる。

それだけに、この事件に対する裁判所の判断は、ある意味ではわかりやすい「冤罪」の問題以上に、社会的にも重要な問題だと言えるのである。

刑事事件化の背景

桑田氏が医療情報部長に就任するまで、国循の情報システムに関する業務はN社がほぼ独占し、高い価格で、非効率な業務が行われていた。情報システムに関する発注では、業務の内容を熟知している既存業者が圧倒的に優位な立場にあるので、競争条件を対等にし、新規参入を可能にするためには、新規参入業者への情報開示と、発注条件に対する業者側からの意見・質問への応答を義務付ける「意見招請手続」などが重要だった。しかし、国循では、それらが行われておらず、情報ネットワークを担当していた桑田氏の前任者や、発注手続を担当する契約係も、N社の独占による「ぬるま湯」的状態に甘んじていた。

桑田氏の着任以降は、桑田氏が、鳥取大学時代から、情報システム業者として高く評価していたD社が、国循の情報システム業務に参入し、N社の独占の牙城を崩していった。その結果、業務は大幅に効率化され、費用も大きく低減された。

ところが、2014年2月、大阪地検特捜部は国循の強制捜査に着手、その容疑事実は、「桑田氏と契約係が共謀してD社に予定価格を漏洩した」という、いわゆる官製談合防止法違反、公契約関係競売入札妨害罪だった。

“入札価格の漏洩の競売入札妨害罪を「入り口事件」にして強制捜査に着手し、贈収賄事件の立件を狙う”、というのは、昔から、警察の捜査二課等が、土建屋談合・贈収賄事件で用いてきた「使い古された捜査手法」だ。それを、高度の技術を要する複雑な大規模医療機関の情報システムの問題で使おうとしたことに、検察捜査の根本的な誤りがあった。

特捜部がこのような狙いで捜査に着手することとなった背景に、桑田氏が国循医療情報部長に就任して以降、国循からの大型の情報システム受注を次々と失うことになったN社やその関係業者側の不満・反発があった。N社は、2012年度にD社にネットワーク関連業務の受注を奪われた後、2013年度の入札で、関係業者S社に参加を打診し、それを受けたS社は原価を無視した過度な安値で落札して強引に受注を図ったものの(いわゆるダンピング行為)、国循が「履行能力調査」を行ったところ、受注を断念せざるを得なくなった。

桑田氏は、独占受注に胡坐をかいていたそれまでの受注企業の「不当な利益」を失わせただけだった。そもそも、大阪地検特捜部の捜査着手の方向が全く間違っていたのである。

一審の裁判の経過

桑田氏が問われた罪は、官製談合防止法8条違反の「公の入札等の公正を害する行為」だった。医療情報部長として国循の情報システムの発注に関与する中で、①「D社が初めてシステムの管理業務の入札に参加した際、業務の体制表をメールでD社に送付した行為」、②「D社受注の翌年の入札で仕様書に新たな条項を加えた行為」などの行為が、同法違反に当たるとされたものだった。

一審で最大の争点とされたのが、「桑田氏が、メール送付の際に、N社が提出した当該年度の業務体制表と認識していたのか、前年度の体制表と認識していたのか」という点であった。前年度の体制表を送付した認識しかなかった桑田氏は、当該年度の体制表とは認識しないでメールを送付したと訴え続けた。それを理由に、「全面無罪」を主張し、多くの支援者にも支えられて「冤罪」を訴えてきた。

しかし、それは、ある意味では、検察にとって好都合な展開だったと言える。もともと、「認識の立証」というのは、刑事事件の立証の中で、検察が得意技にしているものだ。国循の契約担当者などの証言を固めて、前年度の体制表と認識して送付したという桑田氏の弁解を崩し、当該年度の体制表であることを認識した上で送付したことを、刑事裁判で立証することは、さほど困難ではなかった。

検察は、桑田氏とD社との「癒着」や、その利益を図ったことなど、本来、刑事処罰にすべき理由を何一つ立証できなかったが、体制表についての「認識」の立証については、優位に立つことができた。2年にわたる審理で、多数の証人の尋問、被告人質問が行われ膨大な時間が費やされたが、検察官は、国循の多数の職員の証言や物証等から、認識があったことを立証し、その結果、桑田氏は、執行猶予付きとは言え、公務員にとって致命的ともいえる「懲役刑」の有罪判決を受けたのである。

控訴審での弁護人主張

控訴審では、一審での弁護方針を全面的に見直し、①については、無罪主張は行わず、桑田氏が国循の医療情報部長として行った対応は、官製談合防止法違反として処罰されるべき行為ではないとして、検察官の違法性の評価の誤り、訴追裁量権の逸脱を主張した。②については、システム発注における仕様書に「新たな条項」を追加した行為は、発注の目的にとって合理的なもので、「公の入札の公正を害すべき行為」に該当しない、として無罪を主張した。

控訴審の審理で最大の焦点になったのが、弁護側が証拠請求した上智大学法科大学院の楠茂樹教授の意見書だった。楠教授は経済法学者で、公共調達法制と入札監視実務の専門家であり、この問題をめぐる法令の適用や事実の評価に関する、専門的見地からの意見書を控訴審に提出した。

楠教授が、特に重要な問題として指摘したのが、発注において設定される仕様書に「新たな条項」を追加する前記②の行為の違法性だった。

この点について、一審判決は、

特定の業者にとって当該入札を有利にし、又は、特定の業者にとって当該入札を不利にする目的をもって、現にそのような効果を生じさせ得る仕様書の条項が作成されたのであれば、当該条項が調達の目的達成に不可欠であるという事情のない限り、官製談合防止法違反の「公の入札等の公正を害する行為」に該当する

と判示していた。

それに対して、楠意見書では、

おおよそあらゆる公共調達において何らかの調達対象について有利・不利があるのであって、これを問題視してしまえば、多くの公共調達が機能不全に陥ってしまう。重要なのは競争性の制約に見合った条件の設定なのか、という点であって、有利・不利の存在それ自体ではない

との意見であり、この見解を前提にすれば、一審判決の法令解釈が誤っており、②の事実が無罪であることは明らかだった。

検察官は、最終弁論すら放棄した

この楠意見書への検察官の対応は、混乱・迷走そのものだった。

検察官は、第1回公判期日で、楠意見書の取調べに「同意」した上、ほぼ全体について「信用性を争う」などとし、「意見書とは意見・見解を異にするという趣旨だ」と釈明したが、検察官は、その「異なる見解」の内容は全く明らかにしなかった。

第2回公判期日での最終弁論で、弁護人は、このような検察官の対応について、「本件に関する検察官の主張は、完全に破綻・崩壊していると言わざるを得ず、それにより、検察官の法令解釈に全面的に依拠する原判決の法令解釈の誤りも明白になった」と指摘し、起訴された事実のうち2つについては無罪、残り一つについても、「本来、刑事事件として立件されるような事件では全くなく、立件されたとしても、起訴猶予とされるのが当然であって、検察官が訴追裁量を誤り、起訴した本件に対する被告人桑田の量刑としては、少額の罰金刑が相当であることは明らかであり、罰金刑の執行猶予とすべき」と主張して、最終弁論を締めくくった。

検察官は、楠意見書に対しても、弁護人の主張に対しても、具体的な反論を全く行わず、上記のような弁護人の最終弁論に対しても、検察官弁論をせず、反論を全く行わなかった(【前掲記事】)。

控訴審判決の注目点

控訴審判決で、まず、注目されるのは、量刑だ。

一審判決は、懲役2年執行猶予4年を言い渡した。これに対して、弁護人は、①については、適切に事案が評価されれば起訴猶予相当の事件であることから、少額の罰金刑の執行猶予とすることを求めた。控訴審判決で懲役刑が維持されるのか、罰金に変更されるのかどうかが、まず注目点だ。

もし、一審判決の懲役刑の量刑が見直され、罰金刑とされた場合には、特捜部が独自捜査で刑事立件して公判請求した事件では異例の事態となる。事件の評価が根本的に誤っているとの主張が裁判所に認められたことになる

社会的な影響という面で重要なのは、上記②の行為について、一審の有罪判断が覆されるか否かである。

これに関しては、「当該条項が調達の目的達成に不可欠であるという事情のない限り」違法となるという一審判決の判断について、それが誤っていることを、控訴趣意書でも、その後の弁護人の主張・立証でも、強く主張してきた。契約の目的実現のために、契約条件が適切に設定されるよう「当然の努力」を行うことが、官製談合防止法違反の犯罪に問われるとすると、公共調達に関する官公庁・自治体の職員全体に、重大な影響を与えることになりかねない。

この点について原判決の見解が誤っていることを明確に指摘した楠教授の意見書の見解が、控訴審判決でどのように取り扱われるのか。桑田氏個人のみならず、社会全体に対しても、極めて重要な司法判断となる。

郷原 信郎 弁護士、元検事
郷原総合コンプライアンス法律事務所