「京味」の大将(西健一郎さん、私は何時も大将と呼んでいる)が、7月26日に急逝されました。尤も、大将が大動脈弁狭窄症(だいどうみゃくべんきょうさくしょう…大動脈弁の開放が制限されて狭くなった状態)を患い手術を考えられている、という御話を私が初めて伺ったのは今年の1月29日。大将は「順天堂大学の天野篤教授に執刀して貰う」と言われていましたが、私は「80歳を超えた高齢でもありますから内視鏡の方が良いのではないですか」ということをその時申し上げ、次に京味で食事をした2月28日大阪大学の澤芳樹教授を御招待し大将に紹介しました。
澤教授からも大動脈弁狭窄症であれば内視鏡の方で、「慶応病院の教授など私が此の人ならと思う先生を何時でも紹介します」とか、「大阪まで出て来られるのであれば阪大で私が勿論やります」と言って頂きました。しかし、本人の意思は変わらず順大で開胸手術をやられることになり、私は「無事退院できればなぁ」というふうに思っていました。その後2度ほど食事の時に元気そうな大将の御姿を見させて頂きましたが、残念ながら調子が悪くなったということで再度入院され、先週金曜日そのまま帰らざる人となりました。
私は、「日本料理の料理人として誰が一番か?」と聞かれたら何時でも「西さんが一番」と答えていました。西さんはそれ位の料理人だったわけですが、その料理人の元を辿れば御父様は西園寺公望公の御抱え料理人でありました。そうした状況の中で、『「之ちょっと片して来いと言われたらイコール少し残っているのを味見しなさい」というような御父様はつもりであったんだと思います』とは、西さんから直接伺ったエピソードです。その後、西さんは京都の「本家たん熊 本店」で修業され、そして、東京・新橋で京味を開かれることになりました。
大将が私によく言われていたのは、「日本料理は出汁が一番大事なんです。出汁は鰹と昆布。鰹は3年以上熟成させた鰹を掻いて使う。昆布は釧路の昆布。此の二つが基本です」ということです。東京でも3年以上熟成させた鰹を掻かいて使う料理屋は殆ど無いと言われていました。またもう一つ印象に残っているのは、「どういう料理にするかは食材が教えてくれます。旬の野菜や魚がこういう料理にしなさいと教えてくれるんです」という言葉です。
大将は奇を衒(てら)ったようなnew cuisineタイプは嫌いでした。飽く迄も伝統に忠実に、食材と相談しながら、その確かな舌でベストなものを、というのが大将のやり方だったのです。正に料理界の巨星堕つということで、もう食べられなくなることが残念で仕方がありません。唯、西さんの下で13年間修行された「井雪」という銀座の日本食屋の大将も、西さんに大変忠実で然も洗練された舌を御持ちです。
私が井雪に行く時は必ず大将に鯛の潮汁を所望するのですが、その潮汁はひょっとしたら西さんの域を超えたかもしれないと思う位です。全部が全部ではありませんが、出藍之誉(しゅつらんのほまれ…弟子が師よりもすぐれた才能をあらわすたとえ)と言っても良いような料理もあるわけです。料理は奥が深いものですから迚(とて)も西さんには追い付かないレベルかもしれませんが、ちゃんと西さんの後継者として弟子が育っているというのは私の唯一の期待であります。更に精進されて、西さんのレベルに達せられることを切に願っています。
西さん、長い間料理を食べさせて下さり本当に有難う御座いました。心から御悔みを申し上げると共に、非常に質の良い着物を上手く着こなす奥様と御嬢様に心から哀悼の意を表したいと思います。誠に有難う御座いました。西さん、ゆっくり休んで下さい。そしてまた、天国で美味しいものを食べさせて下さいよ。さようなら。
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