日本が輸出管理の優遇対象国から韓国を外す決定を下した8月2日、文在寅大統領が「加害者である日本が居直って大口をたたく状況」を糾弾した内容の演説が、話題になっている。
参照:韓国大統領「加害者である日本が居直って…」ここまで「ホワイト国除外」に強硬な理由(Jcastニュース)
多くの日本人が、「歴史認識」とそれ以外を分けると言っていたのは、文大統領自身ではないか、という気持ちになったのは無理もない。
ただし、日韓関係の緊張の高まりは、もともと元徴用工問題を、日本が国際法の問題、韓国が歴史認識の問題として、捉えるところから、生まれてきている。
文大統領は、「歴史認識の問題である元徴用工問題を、国際法の問題だなどと主張した日本が、貿易政策にまで影響を出してきた」と糾弾しているのである。実際の大法院判決が、植民地被害の問題は、請求権協定で取り扱うことができない、という法解釈を下したのも、同じような考え方だ。韓国側では行政府も司法府も、「元徴用工問題は歴史認識の問題」という主張を一貫して続けているわけである。
もちろん「歴史認識」にも様々な形態があり、韓国政府の「歴史認識」が絶対ではない。しかし、いずれにせよ韓国は、問題を「歴史認識」に還元しようとしている。なぜなら韓国にとって「歴史認識」問題とは、「日本=加害者/韓国=被害者」という図式を当てはめる問題、という意味であり、その図式のあてはめこそが狙いだからである。
これに対して日本は、韓国大法院判決によって引き起こされた問題は、歴史問題というよりも、具体的な法律問題であるという認識なので、国際法の論理を忘れてはならない、と主張している。日本にとっては、問題を「歴史認識」と捉えてしまうことによって、「相手の土俵で相撲を取る」ことになるので、徹底してそれを警戒している。実際、法的問題の本質は法的問題であり、歴史認識で法的解釈が変わっていくという状況は防がなければならない。日本政府の姿勢は、長期的な国益を考えれば、やむをえないものだ。
今後も日本にとっては、元徴用工判決と輸出管理の問題の切り分けだけでなく、歴史認識と国際法の問題の切り分けが、鍵となる。国際世論に訴える場合にも、その点をふまえた対応がまずは重要だろう。
ブログやアゴラでも繰り返し述べているが、この現在の日韓対立の構図にかかわらず、実は伝統的には、日本人の国際法の認識度合いは、悲惨である。特にひどいのが、国際法を全く勉強しないまま法律の専門家となった司法試験受験組の「法律家」たちである。
たとえば弁護士でもある立憲民主党の枝野幸男代表は言う。「国が自衛権を行使できる限界を曖昧にしたまま、憲法9条に自衛隊を明記すべきではありません」。(参照:いつまで「改憲勢力」なんて言葉を使うのか 「何をもって…」枝野氏も困惑:Jcastニュース)
しかし自衛権は、国際法の概念である。日本国憲法に自衛権に関する規定は、もととも存在していない。「限界が曖昧だ」などと言っている暇があったら、国際法を勉強し、自衛権は国際法においてしっかりと制約されていることを、学び直すべきだ。
他国と同じように国際法の制約に服することこそが、自衛権を明確に運用していくための唯一の方法である。理由は単純だ。自衛権は国際法の概念であり、日本国憲法に自衛権を規定した条文はないからである。冷静になってほしい。「憲法学者の支配」を唱える姿勢こそが、憲法解釈を曖昧にしてしまう弊害の元凶である。
国際法の支配を拒絶し、「憲法学者による支配」を主張して憲法解釈を曖昧さの泥沼に陥らせながら、その一方では曖昧さを危険視するような発言をするのは、自家撞着の極みとしか言いようがない。
一方的に憲法学優位を唱えて国際法を拒絶する自作自演の演出の危険にこそ、今の日本は直面している。「いつか来た道」「戦前の復活」「軍国主義の再来」などの「歴史認識」問題に持ち込もうとする決まり文句を日本国内においてすら聞くときには、さらに気持ちは暗澹たるものになる。
「国際法は存在していないに等しい、憲法学の通説だけが頼りである」といったお話が、野党第一党の党首が公に堂々と主張しているという現状を何とかしないと、日本の未来はない。
野党の方々にも、国際法を尊重する気持ちを持ってほしい。「憲法学者の支配」ではなく、「国際法の支配」をこそ標榜してほしい。
篠田 英朗(しのだ ひであき)東京外国語大学総合国際学研究院教授
1968年生まれ。専門は国際関係論。早稲田大学卒業後、