日本は、結構高ストレス社会になっているのかも知れない
愛知県知事の大村さんが集中砲火を浴びているようだが、これは中止することに何の問題もない。
脅迫に屈した、などと非難めいたことを仰る識者の方々があちらこちらにおられるが、京アニメ事件ではないが、思い込みの激しい人がいつ、どこで、どういう行動に出てしまうか予測不可能な時代に既に日本の社会もなっている。
たった一人の狂気が、悲惨な結果を招いてしまう。
何らかの危険を察知した時は、速やかに然るべき対処をする責務がイベントの主催者にあることは誰も否定できないはずである。警察力の強化をもってテロを防ぐべき、などと仰る方もおられるが、あらゆる危険を未然に防止することなどは実際には不可能に近い。
展示を中止したことが、表現の自由の侵害に当たるとか、そのこと自体が検閲に当たる、などと批判される方もおられるが、万一の事態が発生した時の責任は誰が取るのか。
今は、あちらこちらでストレスが高まっている高ストレス社会だと思っていた方がいい。
何か不満があれば短絡的に行動に走ってしまうような人が、数は少ないがあちこちで見られることは確かである。
物騒な社会である。
避けることが出来る危険は、危険が現実化する前に取り除くことが、やはり賢明である。
れいわとN国の役割は、結構重要
高ストレス社会にあって、蓄積する一方の不満をどう解消するか、ということは、政治に関わる者にとって結構重要な問題である。
不満が蓄積する一方であれば、いつかは爆発すると思っていた方がいい。
誰にでもそれなりの不平や不満があるだろうが、大体は自分なりに折れ合って、爆発するまでの蓄積はしないものだが、不器用な人たちは何となくの不満を抱え続けて、突然爆発させてしまう。
何かに拘りのある人の場合は、特にその傾向がある。
世の中にある様々な不平や不満を一挙に解消する方策は殆どないと言わざるを得ないが、何かの特に一挙に日頃の不平や不満を吐き出してしまうようなことはある。
デモや大衆行動はその一つだろう。
何らかの抗議行動に参加した、ということで、自分の存在や活動にそれなりの意義を見出した、ということになる可能性がある。
選挙の際の投票行動にも似たようなものがある。
何の結果も出ないと実に虚しい、ということになりかねないが、一定の結果を出せると、よかった、よかった、ということになる。
この度の参議院選挙では、れいわ新選組とNHKから国民を守る党の2つがどうやらそれなりの役割を果したようである。
どれだけの人が現実にカタルシス感を味わられたのか分からないが、多少は、社会の鬱屈感を吹き飛ばすのに役に立ったのではないだろうか。
多分、れいわ新選組もNHKから国民を守る党も、当分の間、引き続き勢力を伸長するはずである。
編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2019年8月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。