政治家は文化政策について発言し責任も持つべき

政治家が文化に口出ししたら憲法違反とかいわんばかりの輩がいるが、文化政策は政治家のもっとも崇高な仕事の一つだ。

アンドレ・マルローやラングの文化大臣としての仕事は素晴らしかった。石炭の煙で薄汚かったパリの街並みが洗浄されてクリーム色になったのはマルローの英断だし、世界で料理が文化として認められるようになったのは、ラングの功績だ。

エトワール凱旋門から臨むシャンゼリゼ通り(Wikipediaより:編集部)

ポンピドー、ジスカールデスタン、ミッテラン、シラクは大統領として文化を創った。ノートルダム寺院をどう再建するかは、マクロン大統領の意向で最終的に決まるだろうし、それは正しい。

それがフランスが文化国家たる所以だ。日本の文化が世界の評価を受けてこいなかったのは、政治家が文化に口出さなかったからだ。日本の自治体でも知事や市長、あるいは特定の部長さんなど公務員の強い指導力が発揮されたケースなど全部否定するのか。

元島根県知事の田部さんや、香川県知事の金子さんは細部まで文化に介入されて立派な文化行政をされた。滋賀県で商工労働部長やいろんな要職を歴任された上原恵美さんの仕事だって強引だといわれたが、いい仕事をされている。そういうのも否定するのか。

日本では文化政策は文化人対策だと勘違いしている。うるさい文化人に金まけば朝日新聞で誉めてくれると思っているだけだ。

音楽でいえば、世界最高クラスのオペラ上演可能な劇場や豪華なコンサートホールがいっぱいあるが、ほとんど本来の目的には使われていない。同じようなレベルのオーケストラがたくさんあるが年間のコンサート回数は少ない一方、世界最高クラスのオーケストラはいつになっても現れない。

すべて、音楽家がなまぬるくみんな公平に広く薄く公金の恩恵にあずかりたいだけだ。

今回の大村知事の馬鹿げた振る舞いについて考えても、大村知事は運営のシステムについて意思決定をし、運営する人を選んでいるのだ。金は出すが口は出さないというが、その選んだ人が適切だったかどうか、あるいは選ばれたシステムは適切だったか、その結果、バカげた展示しなかったか、すべて結果責任を負うべきだ。

金は出したが口は出さなかった結果が悪くても知らないではすまない。

なにごともそうだが、狭い世界の専門バカは参考意見をいうだけでよろしい。文部科学省の世界では、それぞれの分野のボスの意向ですべてが決まり、文部科学官僚も政治家も結果責任は負わない。

その結果、なんともなまぬるい文化政策、教育政策、科学政策が繰り広げられ、国運を傾けている。

もうひとつ、例を出すと、国宝について見ると、書とか刀とかがやたら重んじられている。建築では神社や鎌倉時代の仏教建築が不均衡に重んじられている。また、考古学では昔は貴重だったがその後の出土でいまとなってはあまり価値がなくても国宝のままだ。世界遺産をめぐっても利権化している。政治は何をしているのか。

八幡 和郎
八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授