文在寅大統領のお粗末な外交は1%の正義もないから、少なくとも実質的には、一歩も下がるべきでないと思う。
ただ、少し気になるのは、韓国の大統領が現与党の路線に近いもの、それを革新というのか、リベラルというのか、親北というのかいい言葉がないので、現与党系といっておくが、そういう政権のときには常に日本とよろしくないのであって、文在寅だけではないととられるのもあまりよろしくない。
振り返ってみると、朴正熙、全斗煥、盧泰愚という軍人系政権のときは別として、そのあといちばん良い関係だったのは、金大中時代である。
金大中(在任:1998年〜2003年)は、1971年の大統領選挙で朴正煕に敗れて以来、朴大統領の政敵として扱われていた。そして、東京から拉致された金大中事件や全斗煥政権下での光州事件と関連した死刑判決など左派の代表的な政治家として位置づけられた。
大統領になったのは、金泳三大統領が経済政策で行き詰まりIMF管理下に置かれたときであったので、左派的な経済政策はとりえず、その意味ではやや皮肉だが良いタイミングでの大統領就任だった。
大統領選挙では、朴正煕の右腕だった金鍾泌と手を結んだので、朴正煕政権をはじめ軍人大統領の時代について過度に厳しい姿勢もとりえなかった。
そして、どこまでが金大中の功績といえるかはともかく、サムソンをはじめとするIT系の企業や現代グループが世界的な企業グループとして地位をかためたのも、金大中が大統領の時代であり、G20に招かれるなど世界主要国としての地位も得た。
北朝鮮に対し「太陽政策」を展開し、2000年に平壌を訪問して金正日国防委員長との南北首脳会談を行い、ノーベル平和賞を受賞した。
日本とは東京での拉致事件や死刑判決をだされたときに日本政府に救われたことを評価していたとみられていたし、日本のマスコミで日本語で話すこともあったし、かつての恩師に「先生、豊田です(日本名)」と語りかけたこともある。
大統領としても、日本大衆文化の部分的な解禁や、天皇に対して日王と呼ばないこと、そして、FIFAワールドカップの共同開催など、比較的に良い流れが在任中には見られた。
とくに、小渕首相とまとめた、1998年10月8日の「日韓共同宣言 21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」は、1965年の日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約によって国交が結ばれて以来、過去の両国の関係を総括し、現在の友好協力関係を再確認するとともに、これからあるべき日韓関係について意見を出し合い、新たな日韓パートナーシップを構築するとの共通の決意を宣言した文書である。
韓国のこと、とくに現与党系のことを悪くばかりいってると、日本側が韓国の保守系に肩入れしているように見えて良くないと思う。
そういう意味で金大中の日韓関係について前向きな姿勢というのを再評価するということもいのでないかと思う。
金大中については、北に対する宥和政策が日本では評判が悪いが、それはまた別の話である。
八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授