図鑑「はたらくくるま」問題の本質 〜 誰が言論の自由の脅威者か

田村 和広

7月24日、「幼児向け「はたらくくるま」図鑑に戦車 不適切との指摘」という記事を朝日新聞デジタルが報じると、その是非をめぐり様々な見解が表明された。その後の「表現の不自由展」問題とも通底する論点があるので、改めて検証したい。

図鑑「はじめてのはたらくくるま英語つき」概要

大きさは縦19.2cm×横17.6cm×厚さ1.6cm(実測)、表裏表紙含め全30頁の3~6歳児向け知育図鑑である。2018年11月、講談社が発行した。概要は以下の通り。

ファクト1:頁構成

各種分類と頁の割り当ては、消防8、警察4、工事現場2、まちの車両4、陸自4、空自0.7、海上保安庁0.3、海自1、高速道路2、緊急車両1、清掃1、これらに表紙表裏各1を加え計30頁である。うち自衛隊は5.7頁(構成比19.0%)である。

ファクト2:車両等内訳

2輪・4輪他車両は合計203台、航空機5機、船舶9隻(水上バイク1台)ミサイル1基という構成で、英語で“vehicle”と表記される乗り物(ビークル)を豊富に掲載した図鑑である。ミサイルを除くと総合計で217個体となる。(表紙カバーと帯は除く。以上筆者調べ)

そのうち自衛隊の車両は31(構成比15.3%:31/203)、である。構成比が最大なのは消防で52台(25.6%)であった。

ファクト3:車両ではない機材

車両ではない乗り物は、海上保安庁も含めた航空機と船舶で合計14個体(構成比は6.5%:14/217)あり、内訳は空自戦闘機4機(F-35A他)、海自対潜哨戒機(P-1)1機、海自艦艇5隻(護衛艦、補給艦、潜水艦他)、海保巡視船3隻、警察水上バイク1台が掲載されている。(以上筆者計算)

ファクト4:新婦人の会の問題意識と指摘行動

「新婦人しんぶん」(2019年、新婦人の会)によると、同会員は講談社ビーシーを訪問し次のような問題意識を表明している。

びっくり。29ページ中、6ページが自衛隊の特集。先日墜落したF35Aをはじめ、戦車、護衛艦、ミサイルを積んだ車両など、37種類もズラリ掲載。「街で見かける(帯)「身の回りで働く車を集めた」(裏表紙説明)と言いますが、ちっとも「身の回り」感はなく、まるで軍事図鑑です。

“「これらは有事になれば命と直結する。他の車とは明らかに違う」「子どもたちに、こんな写真を提供するのはどうか」

新婦人の会は、近づく戦争の足音をキャッチし(略)安倍首相と自民党による9条改憲が狙われ、大軍拡がすすめられる今こそ、身の回りでおきていることを見逃さず、声をあげ、選挙をチャンスにしていきましょう。(以上「新婦人しんぶん」より引用。下線と太字は引用者。その論点はこの後検証)

彼女たちはプレッシャーはかけたが、決して増刷中止を求めたわけではないようなのだ。その証拠に7月22日講談社ビーシーは、以下のような考えをリリースした。

「くるま」というカテゴリーに入らない乗り物、武器としての意味合いが強い乗り物が掲載されている(略)、「知育図鑑」として適切な表現や情報ではない箇所があった(略)、これ以降の増刷は行わない(同社リリースより抜粋)。

新婦人の会の論点1:身の回り感はなく、まるで軍事図鑑

頁構成比で81%が消防・警察・工事・バスなどの身の回りの乗り物であり、自衛隊は19%に過ぎない。「身の回り8割」対「自衛隊2割」では、「まるで軍事図鑑」は言い過ぎである。そう断ずるには、少なくとも過半数は必要であろう。

論点2:有事になれば命と直結

まさにその通りである。有事とは戦闘を指すが、災害救助もまた立派な「有事」である。がれきから生存者を救助する。孤立住民をヘリが救出する。原発事故対応で被爆の危険に身を晒す。これらの隊員と機材の活動は、命に直結するありがたい活躍である。だからこそ逆に、掲載して子供達に知らせる価値は高い。

論点3:近づく戦争の足音をキャッチ

これもその通りである。但しそれは自衛隊ではなく隣国の足音である。核とミサイルの開発を推進する北朝鮮、大規模軍拡を進める中国などの足音である。相対的に自衛隊の重要性は増すばかりだ。

論点4:9条改憲が狙われ、大軍拡がすすめられる今

事実として「大軍拡」は全く意図されず実行もされていない。

論点5:声をあげ、選挙をチャンスに

結局、“子どもたちにこんな写真を提供”するのを阻止したいのではない。自衛隊を非難し自分たちが掲げる政治を推進するための大義名分として活用している姿が浮かぶ。

真に論ずるべき重要論点

以下、筆者が考える本件問題と表現の自由にまつわる重要論点を提示したい。

論点1:逆にもっと豊富に自衛隊機材を載せるべき

自衛隊には、他にも命を救うビークルが多数あるが今回の図鑑には載っていない。例えば、

災害救援で活躍している車両には、以下のような装備が豊富にある。(写真と性能説明は、全て陸上自衛隊公式HPより転載、論評は筆者)

野外炊具1号(22改)

[調理能力]200人分の主食及び副食を45分以内に同時調理可能。

浄水セット,逆浸透2

[浄水能力]淡水 70t/日以上 海水 30t/日以上 [貯水能力]10t(5tタンク×2)。あらゆる自然水(淡水及び海水)をろ過して飲料水にできる。

多用途ヘリコプター(UH-60JA)愛称:ブラックホーク

空中機動作戦および災害派遣等に使用する次期多用途ヘリ。
2015年の鬼怒川決壊時に大量の人命を救ったあの回転翼機だ。

92式地雷原処理ローラ

戦車に装着し、主として小規模地雷原などの処理に使用。
これら現実世界の“ヒーロー”たちは、是非とも掲載して頂きたい。

論点2:兵器を知らないと安全もわからない

例えば、戦車を知らなければ、天安門事件を象徴する“Tank Man”の映像の意味も十分に理解できない。平和のために、戦車は隠すのではなく知らせるべき車両である。

論点3:表題は「はたらくのりもの」が妥当だ

本来、“vehicle”が指す集合の要素には飛行機や船も含まれ、乗り物全般を表す。当該図鑑の表題は「はたらくのりもの」または「はたらくくるまたち」が妥当であろう。

論点4:連想こそが子供達の拡散思考(閃き)力を育む

217個体中の14個体、構成比6.5%程度の「非車両」機材が混入していても、大らかに許容したい。なぜなら抽象化力と跳び幅の広い連想力の養成に役立つからである。これこそ知育の重要要素である。

論点5:誰が言論の自由の脅威者か

これが最大の論点だが、編集内容に強い意見を受け増刷中止としたりメッセージ性の高いイベントを中止したりすることは、言論又は表現の自由の危機である。覚悟が足りない出版社や主催者こそが、「言論又は表現の自由に脅威を与える者」である。その罪深さは愛知県の「表現の不自由展」における知事や監督が露呈したそれと同次元である。

結論:

その内容に異論はあるが、新婦人の会も固い信念をもっているのだから節度を保って大いに活動して欲しい。一方、講談社には、子供たちと言論の自由のために、一層充実させた素晴らしい図鑑を発行して欲しい。双方とも心より応援する。

田村 和広 算数数学の個別指導塾「アルファ算数教室」主宰
1968年生まれ。1992年東京大学卒。証券会社勤務の後、上場企業広報部長、CFOを経て独立。