どう収拾をつけるのだろうか。あいちトリエンナーレ2019の件である。
先週、8月7日(火)にお邪魔した際には、すでに2名の作家が出展辞退をし、「表現の不自由展、その後」とあわせ展示が中止になっていたが…。
あらたに複数の作家が展示中止を要求したのだ。
ウーゴ・ロンディノーネら新たに9作家が展示中止を要求。あいちトリエンナーレ2019で混乱続く|美術手帖
あくまで「展示中止」を「要求」するオープン・レターを『ARTNEWS』にあてておくったとのことで、展示中止になったわけではない。ただ、合わせて11の作家が展示中止ということになれば、相当なインパクトだろう。もしそうなれば、実に残念だ。
このウーゴ・ロンディノーネの「孤独のボキャブラリー」や・・・。
性被害などを告発するモニカ・メイヤーの作品なども含まれる。
全国紙各紙が、社説やオピニオン面などで意見を表明する他、ウェブ上でも「議論」のようなものは続いている。芸術監督の津田大介氏は記者会見後、公には沈黙しているにほぼ等しい(と私は評価する)。なんせ、「表現の不自由展、その後」は再開の目途がたっていないし、すでに2人のアーチストが作品展示を辞退し、さらに9人のアーチストが展示辞退を申し出る事態になっている。どう収拾をつけるのか。
やまもといちろう氏が書いたように、難易度の高い仕事を受けた津田大介氏には同情する。脅迫などは許してはならない。ただ、「ジャーナリスト」「メディアアクティビスト」を名のるわりには、事前・事後の説明が不十分ではないか。要するにコミュニケーションが十分ではなかったのではないか、と。
そして、「被害者」のようで「加害者」になっていないか。アーチストも、楽しみにしていた来場者も傷ついてしまった。あの展示の騒動の過程で、そもそも掲げていたジェンダー平等や、数々の斬新な展示が霞んでしまったのが実に残念である。
東浩紀があいちトリエンナーレのアドバイザー辞任へ 「“表現の自由vs検閲とテロ”は偽の問題」(バズフィードジャパン)
東浩紀氏がアドバイザー辞任を申し出たが、傍観する限りでは、彼は何の役にも立っていなかったように見える。そして、今こそ、主張するべきではなかったか。力不足と言わざるを得ない。結局、このお友達感覚での馴れ合いが、この祭典を結果として息苦しいものにしているのは実に残念である。
彼らがやるべきことは、公開の場で語ること、議論する場を設けることではないか。それこそ、御大田原総一朗を担ぎ出すのも手だろう。津田大介を芸術監督にしてよかったと、結果としてそう支持したくなるような、起死回生の一打を期待したい。
両氏はチェルノブイリへの訪問など、ダークツーリズムを実践してきたが、皮肉にもこのままでは、あいちトリエンナーレ2019自体がダークツーリズム化しそうである。表現の不自由をますますすすめていないか。これ自体が「問題提起」になったという見方もあるだろうが、不十分な対応、稚拙さを「問題提起」という言葉で片付けてはいけない。
こういうとき、両氏の「仲間」たちは面白いくらいに役にたたない。今回の件に関しては、左系評論家としても思うことは多々あるが、現地に娘と行ったのは私なりの応援だ。起死回生の一打、動画配信などを活用し、適切なファシリテーターを立てた上での公開討論の実施、朝ナマでのテーマ化などを期待する。
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2019年8月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。