経済で読み解く日本史vs.山川日本史 〜 東大入試問題で検証

子供たちの知育に役立つ材料を常に探している筆者にとって、実に興味深い書籍が出た。「経済で読み解く日本史 文庫版5巻セット」(飛鳥新社、著者:上念司氏)である。著者の上念司氏は弁論部で鍛えたトークが魅力で、情報活発に情報配信している経済評論家である。

「経済で読み解く日本史」(以下「読み解く」)のコンセプトは「お金の流れがわかれば歴史がわかる」(裏表紙より引用)ということである。確かに、例えば大英帝国の盛衰理由などは、経済的な観点を持たないと訳が分からない。コンセプトは非常に興味深い。そこで、この本も早速「大学受験に役立つか」という観点から検証してみた。

検証手順:
1:東大入試問題(日本史)の解答例を作成し、必要情報を抽出する。
2:情報量(網羅性)を検証する。「読み解く」に記載された情報から解答に必要な情報の網羅性を検証する。比較対照資料として山川日本史(市販本)も同様に検証する。
3:情報の質(因果関係等論考)を検証する。問題のテーマに関する因果関係など、単なる知識ではなく構造的な論考の深さを比較検証する。

手順1:検証に利用した過去問と解答例

(過去問は本文を要約し、問題中の提示資料は省略した。解答例は模範解答を参考にした。)

【2019年度 東大文科前期】
日本史第4問
設問A 第一次世界大戦期の機械工業の活況はなぜ生じたか。機械類の需要や貿易の状況に留意しながら答えよ。(3行以内。目安約90文字)

解答例:
「大戦勃発で戦時需要の増大と船舶不足が生じ、兵器・船舶の輸出が増えた。また、国内の紡績業と電力業は発展するも、工業機械の欧州からの輸入が途絶えたため紡績・電気機械の国産化が進んだ。」

必要情報は次の6つ。1戦時需要、2船舶不足、3兵器・船舶の輸出増、4国内電力業の発展、5欧州からの機械輸入途絶、6機械の国産化

【2018年度 東大文科前期】
日本史第4問
設問A (西園寺公望による勅語草稿について)西園寺はどのような状況を危惧し、どう対処しようとしたのか。3行以内で述べよ。(目安約90文字)

解答例:
「西園寺は、日清戦争後の外国人排斥や国家主義的な風潮の広がりを危惧し、内地雑居開始前に、国民教育を忠君愛国・国家主義的な内容から法典等欧米的価値観を共有するものに変えようとした。」
必要情報は次の5つ。1外国人排斥、2国家主義的風潮、3内地雑居、4忠君愛国・国家主義、5欧米並みの法典

手順2:必要情報の網羅性検証

2019年度
「読み解く」(情報掲載率50%)
1戦時需要〇、2船舶不足×、3輸出増〇、4国内電力業の発展×、5欧州からの機械輸入途絶〇、6機械の国産化×

山川日本史(情報掲載率100%)
1戦時需要〇、2船舶不足〇、3輸出増〇、4国内電力業の発展〇、5欧州からの機械輸入途絶〇、6機械の国産化〇

2018年度
「読み解く」(情報掲載率0%)
1:外国人排斥×、2国家主義的風潮×、3内地雑居×、4忠君愛国・国家主義×、5欧米並みの法典×

山川日本史(80%)
1:外国人排斥×、2国家主義的風潮〇、3内地雑居〇、4忠君愛国・国家主義〇、5欧米並みの法典〇

手順3:情報の質的(因果関係等論考)検証

2019年度
テーマ:第一次世界大戦期の機械工業の活況はなぜ生じたか
「読み解く」
戦場は欧州であり、日本は戦場から遠いので資本が日米に避難したために日本が供給側になれたこと、日本は外貨を獲得でき日露戦争由来の債務を軽くできたことなど、単なる事柄の羅列ではなく、「なぜ日本が活況になったのか」という因果関係について一段深く分かり易く説明されている。

山川日本史
「第一次世界大戦がはじまり、軍需品・綿織物・生糸の輸出が増加し、船舶不足で海運業が発展し、ドイツからの輸入が途絶したために国内工業が伸びた」という現象の列挙に留まる。それら現象の原因に関しては「戦争だから需要が増えた」という単純化した考察に止まり因果関係の説明が浅い。「なぜ日本が活況になったのか」に対してはその理由は理解できない。

2018年度については、そもそも「読み解く」にはテーマに関する記述がないので比較できない。

検証結果:量は山川・質は「読み解く」

限られた問題についての検証なのでこれだけで「全ての問題」に一般化することはできないが、情報量は山川日本史が多い。歴史的事柄の網羅性で教科書に勝る書籍はまずないであろう。
一方、質は「読み解く」が高い。「読み解く」は「経済という視座から歴史の動きを捉える」記述になっており、人々の欲望を反映した制度や事件の因果関係の筋が通り、歴史の流れの動機が掴める。ただし、その基軸からみて重要度が低い事象は当然除かれる。教育勅語には触れないのも当然である。

「読み解く」の良いところ

体系的な日本史の知識を養う上で、「読み解く」は役に立つ本である。直接今回の検証にはかかわらないが、例えば日英同盟に至る経緯の説明など、極めて分かり易い。山川は日本史と世界史を両方読んでも日英同盟の動機や背景については浅くしかわからないが、「読み解く」ならば深く理解できる。このあたりは予備校の講座では高くつくが、「読み解く」は5巻セットでも3,499円なので、「費用対知識」のコストパフォーマンスは極めて優秀である。

また、憶えやすい。一読すれば記憶できる記憶強者ならば、山川1冊でほとんど足りるだろうが、一般的な記憶力の人々にとって、山川日本史を読んでも記憶に残りにくい。そもそも通読するのが苦痛である。その理由は、エピソード性やストーリー性が希薄なためである。譬えるなら「味がほとんどついていない食物を食べ続ける」苦痛である。

一方「読み解く」には、お金という観点から因果関係が面白く説明されているため、エピソード記憶が捗るのである。憶えやすさは教材として重要な要素である。

「読み解く」に残る課題

課題1:国家予算に占める軍事費

「経済」で読むならば、明治維新以降の「国家予算に占める軍事費とその財政圧迫」について更に深い分析を教えて頂ければ、なお満足度は高まるだろう。軍縮条約の影響や、そこで活躍した政治家・軍人の役割にも迫れば、一層充実するだろう。

課題2:第二次世界大戦に関連する考察

日米・日英戦争に関する論考はやや深みが足りない。例えば山本五十六連合艦隊司令長官への評価については異論もある。是非ではなく見解が異なるという意味である。(千人いれば千通りの歴史観があるので、違いがあるのは当然のことであるが。)

まとめ

山川日本史は、「キーワードのカタログ」と捉えたい。つまりそこに登場する言葉に関して、漏れなく知っているかを確認するための役に立つ。一方、「経済で読み解く日本史」は「なぜそのような動きが起こったのか」という因果関係を深く学ぶことができ、記憶効率も上がり、歴史への理解も深まる。また各論も論拠を示し、出典も明確にしているので、確認作業もしやすい。

結局、「どちらが優秀か」という評価は無意味で、山川と「読み解く」のお互いの長所を活用すれば、歴史の知識も理解も大いに充実するだろう。「経済で読み日本史」は、楽しく学べる良い本だった。

田村 和広 算数数学の個別指導塾「アルファ算数教室」主宰
1968年生まれ。1992年東京大学卒。証券会社勤務の後、上場企業広報部長、CFOを経て独立。