金融政策の限界、招いたマイナス金利の弊害

この数十年、経済の調整機能は各国中央銀行の金融政策に委ねているところが大きくなっています。報道などでどこどこが利下げをした、利上げをしたと大きく報じられているのは金融政策が経済政策において花形であり、国家の、ひいては世界の経済の温度調整の主たる運営者として絶大なる信頼がおかれているからであります。

(日本銀行 写真AC:編集部)

(日本銀行 写真AC:編集部)

ところで経済学ほどエスタブリッシュされていない主要な学問も少ないでしょう。私も経済学部卒ですが、不動で明白なる理論がいまだに存在しないメジャーな学問であります。ノーベル賞の発表に経済学賞もありますが、あれも本来のノーベル賞とは別枠であり「ノーベル経済学賞」とは通常言わないのであります。単にほかのノーベル賞と一緒に授賞式をやるだけであれは「経済学賞」とノーベルの冠はつけないことになっています。

今日、主流を占めている金融政策はマネタリストと称するシカゴ学派が主導するものであり、ケインズ学派を批判して60年代に勃興した学派の一つであります。学派とはいくつかある学問上の流派の一つであり、絶対ではないのでありますが、現代社会では金融政策の運営者たる中央銀行こそが経済のかじ取りの主導的立場にあると考えられています。そして中央銀行の政策に対して一般的には当該国の政府は関与せず、「独立性」を持たせることが多くなっています。

その花形である金融政策運営者は金利の上げ下げを通じて貨幣量を調整することで景気循環をうまく乗りこなせると考えています。よって金利は下げれば景気が回復し、いずれ金利は上がるものだ、と信じられているわけです。ところが日本でその原則論は早々に崩れ、いつまでたっても金利が上がらなくなりました。いや、上げられなくなったといった方がよいのかもしれません。

日本が低金利時代に突入したころはまだバブルの後始末が残る中であり、人々は疲弊する経済の中でようやく光明を見出した状態でありました。そこに金利引き上げ論が出た際に世論は「せっかくの回復も水の泡」「俺の住宅ローンはどうなる」と猛反対の声が出たのであります。金融政策担当者も人の子、結局、循環するべく利上げが達成できなくなったのです。

私は北米で90年代、金利が下がる過程において金利は「もう上がる」という言葉を専門家やバンカーから何度となく聞いていましたが私は「上がりません!」と断言し続けました。当時、私は銀行引受手形による借入資金のロールオーバーをほぼ毎月しており、その運用は数億円から数十億円に達するときもあったため、金利に対して極めて慎重な分析と対応が必要でした。その過程において利上げはないと感じたのは金利上昇圧力に対する抵抗感は日本と同じであり、いずれ金利は低迷し上げられなくなると読み込んだからであります。

それから20年以上経ちましたがこの見方が正しかったことは今、断言できます。

多分ですが、金融政策の前提である循環の論理に不完全性があるのだろうと思います。下げるのは簡単だが、上げることほど難しいものはないというのはまるで重力に逆らうのと同じであります。世の中の金利がどんどん溶けてなくなりやすくなる方向にあるのは至極当然の成り行きだったのであります。

ただ金利が∞(無限大)のプラスサイドであればまだ問題は少なかったのですが、金融政策当事者がマイナス金利という禁断の果実を手にしたことにより私はマネタリストの理論は崩壊しつつあるとみています。つまり、一学派としての限界を露呈したかな、と考えています。もちろん、私は学者でないのでそこから先は踏み込めません。ではケインジアンという財政派が再び勃興してくるのかといえばそれも違うだろうと思います。

経済学において複雑になった現代社会を解明し、学術的な論破と実働性がある論理が不在である今日においてトランプ大統領が金利を引き下げろと吠え、ドイツでは30年物の国債が入札不調の上平均落札利回りがマイナス0.11%というあり得ない水準の利率だったことは専門家の間では驚愕の事実と受け止められています。しかし、これらは今後、当たり前のニュースになると思えば、私はかなりの危機感を持っています。

経済のかじ取りはどうするのか、案外、我々の盲点はそのあたりにあるのかもしれません。金融政策が十分に機能しなくなる日が来るのでしょうか?ぞっとする話であります。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年8月23日の記事より転載させていただきました。