オールドメディアの住人、青木氏が理解できないSNS世論の構造
日本人女性がソウルで路上トラブルに巻き込まれ韓国人男性から暴行を受けた様子を撮影した動画がSNSを通じて拡散し良くも悪く注目を集めている。
テレビ朝日「モーニングショー」でも取り上げられこの動画をみたジャーナリストの青木理氏は「韓国が治安が悪いことは一切ない。本来ならニュースにならないニュース」とコメントした。
#モーニングショー
青木理
「韓国が治安が悪いことは一切ない。本来ならニュースにならないニュース。「チョッパリ」は今の時期でなくても使う差別用語」
女性コメンテーター
「しかもかなり酔っ払っている時ですよね」#モーニングショー#テレビ朝日 pic.twitter.com/HhLMK7J4ns— PoliTube (@Politube2) August 27, 2019
この青木氏の発言は典型的なオールド・メディアの住人の発言と言えよう。
今回の動画が世間に拡散したのは新聞やテレビが取り上げたからではない。SNSを通じて拡散したのであり「モーニングショー」はそれを「後追い」したに過ぎない。
もはや「ニュース」は一部のジャーナリストが作る時代ではないのである。
青木氏のオールド・メディアの住人だから「SNSによる被害報告」の重要性も理解できないのだ。
言うまでもなく被害者にとって犯行を証明することは多大な負担である。「路上の犯罪」はその負担の度合いが高い部類と言えよう。なにしろ加害者は即座に立ち去ってしまうことが多いからだ。
しかしSNSがあれば犯行の様子を撮影出来る。「論より証拠」が出来るのである。
今まで「路上の犯罪」で沈黙を強いられた者はSNSの発達によって沈黙から解放される機会を得た。被害者が声をあげやすい社会になったのである。
さて、ここ2年あまりでSNSでの反響を期待して「被害者の声」を積極的に取り上げた運動がある。言うまでもなく#MeToo運動である。
今回、韓国で起きた暴行事件の被害者は女性であり、しかもかなりひどい暴行を受けた。
SNSがなければ泣き寝入りなっていた可能性も否定できまい。
そしてMetoo運動はそういう女性を対象にした運動ではなかったか。
ところが、アゴラでも取り上げられたように、今回の事件に対してMetoo関係者の発信は弱い。何故だろうか。
大手マスコミと#MeToo運動
一時期、#MeToo運動は大変な盛り上がりを見せた。盛り上がりを見せた最大の理由は安倍政権を巻き込むものだったからである。具体的に2つの騒動が注目を集めた。
一つは安倍首相と懇意にあった元TBS記者のY氏とジャーナリスト・伊藤詩織氏の争いである。
もう一つは福田財務事務次官(2018年4月退官)のテレビ朝日所属女性記者へのセクハラ発言を巡るものである。
この二つに対しては既に膨大な指摘がなされているため、ここでは本稿に必要な部分に限定的に触れる。
まず伊藤詩織氏を巡る問題だが、伊藤氏とY記者がそもそも接触したのは伊藤氏の就職を巡る問題であり、要はY記者が伊藤氏をTBSに入社させる、させないの話がこじれて両者のトラブルが起きたのである。
ここで問われるのはY記者のTBS幹部としての職権濫用であり、当然、TBSのY記者への監督責任も問われるはずだが#MeToo運動によってTBSの監督責任の話はどこかにいってしまった。#MeToo運動の盛り上がりの裏で注目されなかったTBSは「利益」を得たと言っても良いだろう。
次に福田財務事務次官のセクハラ問題。「被害者」たる女性記者はかなり早い段階からセクハラ被害を女性上司に報告していた。報告していたにもかかわらずテレビ朝日は配置転換など組織として対応しなかった。#Metoo関係者から言わせればそもそも「セクハラをする男が悪い」ということかもしれないが「対策」とは常に総合的でなくてはならない。一部分だけ改善することは「対策」とは言えない。
両者に共通して見えるのは「大手マスコミの都合」である。#Metoo運動が大手マスコミを利用するのは当然としても逆に利用された側面は無かったと言えるだろうか。
大手マスコミの反安倍運動に安易に同調しなかったか。安易に同調した結果、単なる倒閣運動と化し肝心の「女性の人権」への認知が歪み、被害者に序列をつけるようになったのではないか。
被害者に序列をつけるようになったから日本人女性への暴行事件の認知も歪み、青木氏の発言を許してしまっているのが実情ではないか。
自滅した#MeToo運動
現在の険悪化した日韓関係を考えれば、今回の日本人女性への暴行事件は政治利用される可能性が高いことは明白である。
だからこそ#MeToo関係者は、今回の事件について積極的に発信して「嫌韓」「反日」拡散を防止すべきだった。
「女性の人権」を強調すればそれが出来たはずだが発信を控えたということは、#MeToo運動が「女性の人権」を守る運動ではなく単なる特定党派による政治運動であることを自ら証明したようなものである。完全な自滅である。
控えめに言って当初は純粋に「女性の人権」を守るための運動だったかもしれないが、現在はもう政治運動と判断しても良いだろう。女性被害者に序列をつける社会運動が日本国内に存在しているのである。
思うに性的にふしだらな男ほど女性に序列をつけたがるのではないか。彼らにとって女性は快楽を提供してくれる消費財に過ぎない。そして消費財だから序列をつけて効率的に管理するのである。携帯の電話帳に「1号」「2号」とか簡単に記録しておけば十分なのである。もちろん、そこに女性を尊重する姿勢はない。
そして「女性の人権」を守るべきMetoo運動が性的にふしだらな男と同じ思考になってしまったのだから、この運動はもう終わりだろう。
まあ、自業自得だが…。
高山 貴男(たかやま たかお)地方公務員