日本経済新聞に今年1月、「重役にしてはいけない人」という記事がありました。そこでは先ず、「会社の取締役や監査役といった名前が欲しいだけの人」「いい人だが能力がない人」「会社を私利私欲のための手段とする人」、の3点を渋沢栄一翁の名著『論語と算盤』より挙げて指摘しています。
そして最後に筆者は、「自分と異なる意見を持つ人間を排除する人」「学ばない人」「周囲の人を大切にしない人」、の3点を上記に付け加えたいとしていますが、私に言わせれば、それら全ては渋沢翁による3点の中に包含されているように思われます。
「自分と異なる意見を持つ人間を排除する人」も「周囲の人を大切にしない人」も、「会社の取締役や監査役といった名前が欲しいだけ」で「会社を私利私欲のための手段」として考えているのでしょう。つまり本当に会社のためを思い考えて、公のため何とかプラスになる事柄をやろうとすれば、当然人を「排除する」とか「大切にしない」ということにはならないからです。
公に奉ずるとは、結局のところ上であろうが下であろうが同じです。しかし、上には上の役目があります。安岡正篤先生も『東洋宰相学』の中で、「リーダーとなるべき者が読んで実行すべきものとして」推奨されていますが、重役の在り方というのは、佐藤一斎の『重職心得箇条』(文末参照)に尽くされていると思います。
また、「学ばない人」が「能力がない」のは明らかですが、重役に就けるに「いい人」だけではしんどいと思います。リーダーシップを発揮し多くを引っ張って行くわけですから、人がいいだけでは無理でしょう。重役に相応しいか否かは基本、それだけの責任を担う資格があるかどうか、ということです。
併せて、下の人達がその人を重役と仰ぐことに賛同するかどうか、も大事になります。人望とは、人がいいだけで出来るものではありません。社会や人を正しい方向に導いて行けるだけの能力が求められると共に、何時も公正無私の姿勢を貫き自分を正しく律して行かなければなりません。
『論語』の「子路第十三」に「其の身正しければ、令せざれども行わる。其の身正しからざれば、令すと雖(いえど)も従わず」や、「其の身を正しくすること能(あた)わざれば、人を正しくすることを如何(いかん)せん」という孔子の言があります。
どれほど知識・技術・才知に長けていたとしても、それだけで下は動きません。多くの弟子が孔子に従いあれだけの人望が集められたのも、彼自身が「修己治人(しゅうこちじん)…己を修めて人を治む」が出来ていたからこそです。重役たる者、常に自分の私利私欲の類を度外視し、様々なディシジョンメイキングをして行かねばなりません。
≪重職心得箇条―要約≫
一、小事に区々たらず、大事に抜目なし。重職の重たる字は肝要なり。
二、大度を以て寛容せよ。己に意あるもさしたる害無き時は他の意を用うべし。
三、祖先の法は重宝するも、慣習は時世によって変易して可なり。
四、自案無しに先例より入るは当今の通病なり。ただし先例も時宜に叶えば可なり。
五、機に従がうべし。
六、活眼にて視るべし。物事の内に入りては澄み見えず。
七、苛察は威厳ならず。人情を知るべし。
八、度量の大たること肝要なり。人を任用できぬが故に多事となる。
九、刑賞与奪の権は大事の儀なりて軽々しくせぬ事。
十、大小軽重の弁を失うべからず。時宜を知るべし。
十一、人を容るる気象と物を蓄る器量こそが大臣の体なり。
十二、貫徹すべき事と転化すべき事の視察あるべし。これ無くば我意の弊を免れ難し。
十三、信義の事、よくよく吟味あるべし。
十四、自然の顕れたるままにせよ。手数を省く事肝要なり。
十五、風儀は上より起こるものにして上下の風は一なり。
十六、打ち出してよきを隠すは悪し。物事を隠す風儀とならん。
十七、人君の初政は春の如し。人心新たに歓を発すべし。財務窮すも厳のみにては不可なり。
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