スペイン・バルセロナでバルセロナ商工会議所のジョアン・カナデル会長が記者会見の席でカタラン語でしか応答しないという出来事が7月下旬にあった。因みに、カタラン語に通じない人はそれを聞いても80%は理解できない。
El presidente de la Cámara de Barcelona se niega a responder en español y dará las ruedas de prensa sólo en catalán https://t.co/KIyTpeqXmy
— EL MUNDO (@elmundoes) July 24, 2019
問題となったの記者会見でカナデル会長がカタラン語で質問に答えたことに対し、一人の女性記者が同じ回答をスペイン語で繰り返すように要望したことから始まった。同会長は「記者会見はカタラン語だけでしか応じない」と答えたのである。更に「バルセロナ商工会議所の規定でもそのようになっている」と確言したのである。
彼が指摘する規定についてであるが、その内容のすべてを説明していない。そこには「カタラン語が一般に使用されるが、誰かがカスティーリャ語(スペイン語のこと)で要望した場合はカスティーリャ語で回答をしなければならない」というのが規定されている。
勿論、商工会議所内での行事や書類は州議会や公的機関と同様にカタラン語が使用される、というのは規定で認められている。また、広告などの媒体もカタラン語が優先して使用されることも認められている。それでも、市民がカスティーリャ語での説明を求めた場合はそれに応える義務があるとされているのである。(参照:elmundo.es:elpais.com)
7月1日にも同氏にまつわる同じようなハプニングがあった。それはカナデル氏が商工会議所の会長になって初めて会議の後の記者会見であった。この時、彼は「今日はまだカスティーリャ語で話そう。考慮せねばならないが、これがカスティーリャ語で話す最後になると思う。通訳はいないのか?」と述べたのである。
というのは、カタラン語で既に回答したことをカスティーリャ語で説明して欲しいという要望が記者席からあったからである。それに応えて、彼は「私はカスティーリャ語には如何なる反感も持っていない。しかし、(一度カタラン語で説明したことを)また説明する必要はない。時間の無駄だ」と理由づけスペイン語での回答を断ったのであった。このような姿勢でいると、メディアを味方につけるのは容易ではない。(参照:abc.es)
冒頭で触れた記者会見を開いた目的はカタルーニャで独立機運が高まってカタルーニャへの国内外からの投資が減少しているというのはフェイク・ニュースであって、実際にはカタルーニャへの投資は衰えていないということをデーターで実証するために報道関係者を集めたのであった。
彼によると、カタルーニャへの外国からの投資はスペイン全体の22.5%を占め、マドリードの17.1%を上回っていると指摘した。この投資は実際には固定資産への投資を集計したもので、流動資産への投資は含まれていないと各紙が指摘している。よって、カタルーニャへの投資の全てではないということだ。
貴重な情報を提供する場であれば広く知ってもらうためにもカタラン語、スペイン語更に英語などで説明すべきあるはず。それをカナデル氏は敢えてスペイン語を排除するというのはカタルーニャ以外、特にスペインの政権を司るマドリードへの偏見を強くもっているということなのであろう。
余談になるが、バルセロナオリンピックの開催中の場内のアナウンスはカタラン語、英語、フランス語そしてスペイン語という順になっていた。ところが、ある競技で最後のスペイン語がアナウンスされなかった。そこで一人のスペイン人出場選手がもう一人のスペイン人選手に「今何を言ったか説明してくれないか」と尋ねたそうだ。
カタルーニャで独立機運が次第に高まって行ったのは2012年からである。その頂点に達したのが2017年10月1日の違法な州民投票だった。独立の是非を問う投票だった。違法だというのは、スペイン憲法155条で国家の統一を損なう自治州の政治活動は禁止され、それを無視して独立しようとした場合には中央政府はその自治州の機能を停止できると謳われているからであった。
ここで一つ言及しておかねばならないことは、スペインがフランコ独裁政治のあと民主化されてからカタルーニャ州で実施された全ての総選挙と州選挙で独立支持派が得票数において独立反対派を上回ったことは一度もないということ。双方の票差は常に僅差であるが、独立反対派の票が支持派のそれを常に上回っているのである。
ところが、現在もそうであるが、独立支持派が政権を担っているのは当選できるための票田の区分が均等になっていないということなのである。即ち、バルセロナ県で当選するためにはリェイダ県やジロナ県で当選するよりも2倍の票数が必要だということ。この2県は独立支持派が強い地盤地区。よって、この2県から独立反対派は常に苦戦を強いられている。
結局、現在まで独立が達成されていないということで、カタルーニャの独立支持派が現在行っていることのひとつがカタルーニャ州の公的機関で独立支持派を重要なポストに就かせるということである。そのひとつがカタルーニャ商工会議所である。カナデル会長はガソリンスタンドの経営者で、そこにはカタルーニャ共和国の旗が描かれている。また売り上げの一部は独立派の為の資金提供に充てている。
彼を商工会議所の会長に推したのは独立の為の一般政治団体「国民会議」であった。カナデル会長を介して国民会議が狙っているのはカタルーニャで独立機運が高まってからカタルーニャから本社を州外に移した企業を同会議所の会員から外すことである。そして商工会議所を独立支持派の企業が支配するというプランである。
カタルーニャ企業連合の独立反対派ジュセップ・ボウ会長は州外に本社を移転させた企業は5000社以上あると指摘している。移転先の多くはマドリードである。それに次いでバレンシアが2番目に移転先となっている。
10月1日の州民投票を実施したあとすぐにカタルーニャを代表する2大銀行ラ・カイシャとサバデルがそれぞれバレンシアとアリカンテに本社を移した。カタルーニャの当時の政権は独立した暁にはこの2大銀行をカタルーニャ共和国のメインバンクにする計画であった。当時のジュンケラ副州知事は留まるように説得したが、彼らはカタルーニャが独立しても欧州連合には加盟できないと判断してそうそうに本社の移転を決めたのであった。
EUに加盟するには加盟国の全てが一致してそれに賛成を表明せねばならない。それにスペインが反対するのは自明である。また、欧州連合にとっても、加盟国が分裂することを逆に恐れているから、カタルーニャの独立を認める方向にはない。
カナデル会長はカタルーニャへの外国からの投資に衰えはないと指摘しているが、このような独立機運が高まっている地方に投資を控えるのは当然の成り行きである。スペインにある米国商工会議所支部の代表は政情が不安なカタルーニャへの投資をしようとする米企業は皆無だと指摘したことがある。
また、ドイツ企業アグロラブ(Agrolab)も昨年急遽カタルーニャ州からカスティーリャ・レオン州に投資先を変更したという例もある。同社は農業関係における環境調査分析を行う企業でカタルーニャで200人の新規雇用も予定していた。(参照:lavanguardia.com)
カタルーニャで事業を展開しているドイツ企業連合会「Habla Alemana」が州議会議長ロジェール・トゥレン氏を集会に招待した時に、違法に州民投票を実施したことに対して理解できないと表明。また議長は議会で中立を守るべきであるのに独立派が胸につけている黄色リボンを議長もつけていることに対しドイツ企業経営者から批判が集まった。
またカナデル会長はバルセロナ商工会議所の会長ということでスペインそして外国と差別なくバルセロナの商工業の発展の為に尽くすべきであるが、カスティーリャ語を排斥する姿勢にはカタルーニャの商業はスペインの他の地方と密着な関係があることを忘れているのか、無視しているのか、会長としての任務を果たしていないことになる。
というのはカタルーニャ産品の平均して50%はカタルーニャ以外のスペイン地方で販売されているということ。カタルーニャが独立しようとすればその反動でカタルーニャ製品の不買運動が起きる傾向にあるということで、カタルーニャ経済に打撃を与えることになる。例えば、カタルーニャ特産の発泡酒カヴァはカタルーニャで独立機運が高まると、その影響でカタルーニャ以外の地方でカヴァの売上が極度に落ちるということを繰り返している。
しかし、そのボトルの栓はアンダルシア地方で生産されたりしていて、その栓の製造業者はカタルーニャではないが不買運動の影響を間接的に受けるといった現象も起きている。
カタルーニャの独立運動で時に比較されるのが、カナダのケベック州である。1970年代からケベックは独立機運が高まった。1980年に独立を問う住民投票が実施された。独立反対派が僅差で勝利したが、それ以後ケベックから銀行や企業が隣接のオンタリオ州に移転。また、公用語をフランス語にしたことから中心的商圏も失った。結局、それから30年が経過した現在、ケベックの若者の人口が減少し、経済成長も他の地方と比べ常に幾分か低くなっている。ケベックとオンタリオの首府モントリオールとトロントは前者が僅か30%の人口増加に対し、後者は2倍に増加しているという。
カタルーニャが今後も独立に拘るようだと、カナダのケベックの二の舞を踏むようになるかもしれない。(参照:eleconomista.es)
そして、最後にカタルーニャの半分の州民が独立に拘るのは18世紀初頭のヨーロッパを席捲したボルボン家とハプスブルグ家の間で起きたスペイン王位継承戦争に由来するということだ。当時、カタルーニャは独立した自治領として存在していたが、敗退したハプスブルグ家の方についた為にスペインの前に独立を失った。その復活を現在の独立派は望んでいるのである。その上、フランコ体制では弾圧などを受けて、カタラン語を使うのも公用の場では禁止された。
そのような歴史的背景が重なってそれが現在独立への復活機運が高まっているということなのである。しかし、現在のカタルーニャが置かれている最大の問題は市民が独立支持派と反対派に真向から分裂しているということなのである。家族同士がこの問題で協調が崩れたというケースもある。しかも、独立支持派のキム・トッラ州知事がこの分裂を煽っているという言動が目立っているのも問題である。
白石 和幸
貿易コンサルタント、国際政治外交研究家