書評『100年かけてやる仕事 中世ラテン語の辞書を編む』

毎日新聞の元欧州総局長で、現在は編集編成局次長の小倉孝保氏との初顔合わせは、5年ほど前になる。

当時は在ロンドン・欧州総局長で、在英日本人が集まるイベントが終わり、食事会のためにレストランに入った時だった。小倉氏が少し離れた席で、とても楽しそうに会話をしている姿が見えた。なんだか面白そうな人だと思い、別の日に友人たちとの夕食にお誘いした。

英国の新聞の「長い訃報記事を愛読している」という小倉氏は、常に面白いおかしい話を引き出しに入れており、大笑いしながら食事をすることになった。

新聞記者である一方で、小倉氏は数々のノンフィクション作品も書いており、ある会食時には「三重スパイ」の取材のために自腹でお金を使い、あちこちに出かけたことを話してくれた(これはのちに、講談社から『三重スパイ イスラム過激派を監視した男』として出版された)。

過去の本も含めて小倉氏の本を読むようになり、『がんになる前に乳房を切除する 遺伝性乳がん治療の最前線』(文芸春秋)、同氏がニューヨーク支局長であった時に米国で死刑執行の現場に立ち会い、関係者に取材しながら米国と日本の死刑制度を比較した『ゆれる死刑 アメリカと日本』(岩波書店)に感銘を受けた。

そんな小倉氏の最新刊が、『100年かけてやる仕事 中世ラテン語の辞書を編む』(プレジデント社)である。

1-2年前に、「次の本は?」と何気なく聞いた時に、「実は…」と切り出されたトピックだった。

「100年もかけて、辞書を作る?」、それも「ラテン語…」。一瞬、言葉を失った。

時間をかけて辞書を作る、欧州の伝統

『100年かけてやる仕事 中世ラテン語の辞書を編む』(筆者撮影)

本書によると、相当の年月をかけて辞書を作るのは欧州では珍しくないそうだ。17世紀、フランス学士院はフランス語の辞書作成に55年をかけ、「オックスフォード英語辞典(OED)」は、完全版発行までに71年かかっている。グリム兄弟が開始した「ドイツ語辞典」には1839年の編集開始から完成までに123年をかけているという。

中世ラテン語辞書作成プロジェクトが101年ぶりに完了したのは、2014年。当時ロンドンに赴任していた小倉氏は、さっそく、取材を開始する。

まずは物差しとヘルスメーター(体重計)を持って、このプロジェクトを担当していた英国学士院を訪ねた。そう、「ヘルスメーターを持って」である。学士院に事前に問い合わせたところ、辞書の重さが不明と言われたからだ。全17冊分の辞書の重さは11キロを超えた。

プロジェクトの開始前に、英国にラテン語の辞書がなかったわけではない。1678年作成の辞書があったが、フランス人ラテン語学者デュ・カンジュが編纂したものだった。

この状況に不満を抱いた英国人ラテン語学者ロバート・ウィトウェルは、1913年、学士会に新たな辞書作成を提案するとともに、一定のラテン語知識を持つ人に情報提供の協力を求めた。ボランティアとしてラテン語採取に加わった人(「ワードハンター」)たちは、100人から200人と言われている。

『100年かけてやる仕事 中世ラテン語の辞書を編む』は、学士院の人々に取材をしながら、その後の辞書編纂者の奮闘ぶりを記していく。一体なぜ、ラテン語辞書の作成に100年もの時間をかけて人々は取り組んできたのか。コストや辞書の必要性については、どう考えてきたのか。

日本での辞書作りとは

英国の辞書作りを調べるうちに、著者の関心は日本に向く。

「言葉は民族を立てる時の柱である。そのため言語辞書は近代国家の成立と密接な関係にある。日本語のもその例外ではないはず」と踏んだ小倉氏は、日本語研究者で清泉女子大学文学部教授の今野真二氏を訪ねる。

日本では、国語(日本語)の辞書がそろい始めるのは1887年前後。国語学者の大槻文彦氏の編纂による、最初の本格的な国語辞書『言海』が出版されたのが、1891年だった。今野氏によると、「ちょうど日本が近代国家として成立し、国家を建てたころです。辞書を作る条件が整い、その機運が高まったのです」。

『言海』は、大槻氏の自費出版で世に出た。「日本に国が作った辞書は1冊もありません。政府は資金を出すわけでもなく、私費で辞書ができるのを喜んでいる。珍しい国だと思います」(今野氏)。

小倉氏は、「なぜ辞書を作り続けるのか」について、2018年に出た『広辞苑』第7版の編集者だった平木靖成氏(岩波書店)に聞いている。「辞書作りは地道な作業の繰り返しであり、派手さのない日常の連続である。しかも手間の割には経済的な収益もさほど期待できない」のに、と。

平木氏は、一見無駄なもの、価値が薄いと思われようなことに力を注ぐことこそ文明の力なのではないかという。例えば小惑星探査機「はやぶさ」のように、である。「それがなくても人間は生きていける。でも、そういうものに夢中になり、魅力を感じることもできる。それこそ文明なんじゃないですかね」。

2015年夏、小倉氏は東京に戻る。毎日新聞本社の編集部で時間に追われる日々が始まった。

その一方で、英国で辞書を作っていた人々の言葉が思い出されてきた。「ゆっくりと時間を過ごすことの大切さ、速度よりも正確性を追求することの重要さ、短期的成果が見込めなくとも価値あるものは存在することに気付くことの必要性」が心に迫ってきた。

「言語の木を植え、山をつくった人たちの言葉を多くの人たちと分かち合いたかった」。これが本書を書いた動機だったという。

ラテン語について、辞書作りについて、そしてこれからの人生の過ごし方について、本書は様々なことを考えさせてくれる。


編集部より;この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2019年9月21日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。