緊急事態条項批判は“立憲的”か?

安倍首相の「宿願」が憲法改正であることは論をまたない。世論もかつてほど改憲に抵抗はない。最近の世論調査を見ても、それは確認出来る。

憲法改正「議論すべき」77% 日経世論調査

2017年に安倍首相が提示した温和な改憲案、憲法に自衛隊の存在を明記する、いわゆる「9条加憲案」の存在も改憲への抵抗を下げたと思われる。

こうした現状に危機感を持ったのか護憲派、というよりも「反安倍」は安倍政権の反民主性を強調して「安倍政権下の改憲には反対である」とか「安倍独裁」云々を主張している。

そして最近、反安倍界隈で注目されているのが「緊急事態条項」である。反安倍によると日本国憲法に緊急事態条項を追加するとたちまち日本は独裁国家になるらしい。

れいわ新選組Facebookより:編集部

例えばれいわ新選組代表の山本太郎氏は次のように述べている(参照:東京新聞 2019年9月22日 朝刊)。

「本丸は緊急事態条項。全て内閣で決めて首相の思い通りにできる。国会はいらなくなるということ」

この山本氏の発言は反安倍が緊急事態条項を警戒していることをよく示してくれる。

反安倍の緊急事態条項批判でよくあるものは災害対策基本法などを挙げて「緊急事態条項がなくとも緊急事態に対応出来る」というものである。

衆議院インターネット中継

やや古い記事で恐縮だが例えば憲法学者の木村草太氏は「緊急事態には既に、災害対策基本法や武力攻撃事態法といった法律がある」という立場から憲法に緊急事態条項を追加することを批判している。(参照:神奈川新聞 2016年01月25日

最近でもテレビ番組で緊急時における災害対策基本法の存在を強調しており、木村氏の考えは上記の記事から変化していない。(参照:リテラ 2019年7月16日

しかし、どうだろうか。この「緊急事態条項がなくとも緊急事態に対応出来る」はそんなに肯定出来るものなのだろうか。

災害対策基本法や武力攻撃事態対処法は間違いなく「緊急事態法制」に分類されるものである。だから「緊急事態条項がなくとも緊急事態に対応出来る」という主張は、言い換えれば「緊急事態条項が欠如しているが緊急事態法制は存在している」というものである。

まず我々が確認しなくてはならないのは本来ならば憲法に緊急事態条項がなければ緊急事態法制は制定出来ないということである。ところが緊急事態法制は制定されている。どうしてだろうか。

それは「公共の福祉」を拡大解釈しているからである。災害対策基本法や武力攻撃事態対処法は「公共の福祉」を拡大解釈することで成立しているのである。

果たして憲法起草者は「公共の福祉」が緊急事態法制の根拠になるとを想定していただろうか。

さて、近年の憲法論議では必ずと言ってよいほど「立憲主義」という言葉が出てくるがこの

「緊急事態条項が欠如しているが緊急事態法制は存在している」事実は立憲主義の観点からも問題である。

立憲主義の観点から日本国憲法の緊急事態条項の欠如と既存の緊急事態法制の関係を論ずるならば改憲により緊急事態条項を追加して既存の緊急事態法制の憲法上の根拠を明確にすることが要請されていると言える。

ところが反安倍は憲法に緊急事態条項を追加せず「公共の福祉」を拡大解釈することが立憲主義と考えているのである。

超法規的措置という緊急事態 

反安倍の緊急事態条項批判論を聞くとまるで国家は憲法に条文上の根拠がなければ緊急権を行使出来ないかのような錯覚に陥る。もちろんそうではない。善し悪しは別として国家は憲法に条文上の根拠がなくとも緊急権を行使することがある。戦後日本は実はこれをしている。それは「超法規的措置」である。

福田赳夫(内閣広報室)

三木武夫内閣・福田赳夫内閣が日本赤軍による人質・ハイジャック事件を受けて超法規的措置を実施し服役・拘留中だった日本赤軍構成員を釈放している。これは国家による緊急権の行使に他ならない。

戦後日本は既に超法規的措置という緊急権を行使しているのだから、その濫用を防止するためにも憲法に緊急事態条項を追加する必要がある。超法規的措置という言葉に「市民権」を与えるべきではない。

これは立憲主義の観点からも肯定されるし、むしろ立憲主義の要請である。

ドイツ基本法には緊急事態条項がある

それでも反安倍は緊急事態条項に反対するかもしれない。彼(女)らが批判の根拠としてよく挙げるのはナチスのアドルフ・ヒトラーによる緊急事態条項の濫用であるが、ではワイマール憲法に緊急事態条項がなかったらヒトラーの独裁は成立しなかったのだろうか。そんなことあり得るだろうか。

現在のドイツ基本法(憲法に相当)には緊急事態条項があるが、ではドイツ人は「ナチスの教訓」を学ばなかったのだろうか。筆者はドイツ史の専門家ではないが、現在のドイツ基本法に緊急事態条項がある事実はヒトラーの独裁成立は憲法の緊急事態条項の有無といった単純なものではないとドイツ人自身が考えている証左ではないだろうか。

第一次世界大戦に敗れたドイツ帝国は世界の強国だった。第一次世界大戦がなければヨーロッパ大陸の盟主になる可能性も十分にあった。大戦前のドイツ帝国はまさに「世界に冠するドイツ」だったのである。

そんな誉れ高きドイツ帝国は敗戦により政治体制が根本から変わり、更には連合国から履行不可能な講和条約を押し付けられたのである。それはドイツ人にとって屈辱以外の何者でもなかった。ヒトラーの独裁成立はそんなドイツ人の屈辱・反発心を抜きに語れない。

反安倍のようにヒトラーの独裁成立の理由として憲法の緊急事態条項の存在だけを挙げるのはとても独裁を警戒している者の主張ではない。

反安倍から日本国憲法を解放しよう 

反安倍は「護憲」という政治目標のために「公共の福祉」の拡大解釈による緊急事態法制を肯定したり戦後日本が下した超法規的措置の事実や現在のドイツ基本法に緊急事態条項があることを無視して緊急事態条項批判をしたり実にいい加減である。

彼(女)らは時々、立憲主義者を自称するがとてもその基準に達しているとは思えない。
およそ立憲的とは言えない勢力が「立憲主義を守れ」と叫んでいるのは日本国憲法の最大の不幸である。

今、我々主権者に求められていることは反安倍から日本国憲法を解放することである。
彼(女)らは立憲主義から最も遠い場所にいて最も立憲主義という言葉を悪用している勢力である。

緊急事態条項を巡る議論は反安倍の反立憲性を指摘する格好の材料である。
反安倍から日本国憲法を解放することで憲法は我々日本国民のものになる。

(参考文献)『世界の「有事法制」を診る』(水島朝穂 編著 2003年 法律文化社)

高山 貴男(たかやま たかお)地方公務員