9月26日のアゴラに「小泉進次郎が大臣を辞任するべき理由」(渡瀬裕哉氏)が掲載された。
渡瀬氏論考のメインメッセージ
安倍首相は速やかに小泉大臣を辞任させるべきだ。
なぜならば、
国内で大臣として国会答弁に立つ際にはもちろん、国際会議の場で発言が求められる国務大臣職を担う上で致命的な問題を引き起こしかねない。
からである。
(引用符内は前掲論考より抜粋。以下同じ)
単刀直入な提言だ。見識に下支えされた鋭い洞察だが、賛同まではできない。賛否を留保せざるを得ない理由は、この主張の論拠が複数の仮定に基づく仮定だからである。
「根拠とする各前提が正しい確率」を50%と仮定すれば、仮定の6乗はおよそ2%となる。天気予報で降水確率が10%未満のとき、人は雨を心配するだろうか。(ちなみに確率を80%とすれば仮定の6乗は約26%。)
“セクシー”ではない話をすると、「風が吹けば桶屋が儲かる」は話としては面白いが、ストーリー中に登場する各論の発生確率が低すぎて現実的な推論とは言えない。上記の論考には、構造としてはこの伝統の諺(または小噺)と同じものを筆者は感じる。
では具体的にどのような仮定だったのか。
辞任勧告論で前提とされた仮定条件
大前提:
小泉大臣が上記で述べてきたように抽象的思考力に欠ける人物であった場合
(太字は筆者。以下同じ)
このように、それ以前に論証した根拠に基づく仮定条件が辞任勧告論の大前提なのである。
ではその「それ以前に論証した根拠をあらためて読むと以下の通りである。
仮定1:「ちぐはぐな応答は“素”の姿である」と仮定
小泉大臣の噛み合わない・後先を考えない記者会見でのポエムが話術ではなく素であると仮定した場合、国務大臣としての業務遂行能力に疑問符を付けざるを得ない。
仮定2:「単なる知識不足ではない」という仮説
単純に知識不足で具体例を出すことができないだけなら役人が作った文章をそのまま読んでいれば良いだけのことだが、現状の姿はどうやら只事ではない異常な雰囲気を醸し出している。
(「ゆえに単なる知識不足ではない可能性が高い」という仮説を推定していると読んだ。)
仮定3:「予想される質問に回答を用意していない」という仮説
外国人記者から当たり前に質問されるであろう内容について適切な回答を何も用意せずフリーズしてしまい
仮定4:「フリーズを見せてしまったのは想像力がなかったから」という仮説
その姿がロイターなどの外国メディアにどのように書かれるのか(=その場以外の状況を想像する)について思考する能力がなかったのだ。
仮定5:「想定できない可能性がある」ことの示唆
自らの発言が後でどのように使われるのかを想定できない可能性があることを示唆している。
仮定6:「経験不足を理由から排除できる」という仮説
この失態について国会議員を10年も務めた人物として経験不足は理由にならないだろう。
結局、(1)素で受け答えがまともにできず、(2)単なる知識不足でもなく、(3)準備もせず、(4)想像力がないために質問にフリーズし、(5)爾後の報道ぶりも想像できず、(6)十分な経験があっても資質が身に付かなかった 。
このような仮定の6乗に支えられた「小泉大臣思考力欠如仮説」が正しい可能性は低いだろう。これを論拠または前提条件として、将来の国益毀損を憂慮し、一国の大臣に「辞任せよ」と勧告している。論考は鋭いとも感じるし、きっと正しい部分もあると想像するが、やはり賛同はできない。
小泉大臣にも抽象化能力はある
もし本当に抽象化能力がなければ、父親の具体的な行動から劇場型(メディアコンシャス)の行動原則を抽出して真似ることは出来ない。むしろ議員を10年も続けられるということで抽象化能力は十分あることが実証されている。
問題は、その使い方である。大臣として要求される役割を深く認識すれば、国益を損なわないような行動もできるようになる可能性は十分あるだろう。
人は成長するからだ。
より本質的な日本の課題が浮き彫りになった
今回の小泉大臣に関する一連の報道で、以下のような日本が抱える課題が浮き彫りになった。
課題1:人気で大臣になる日本の民主主義の水準
残念ながら日本では、能力が未知数でも人気があれば議員になり大臣にさえなれる。これは現代の日本に限らず、世界共通かもしれない。また、戦前も近衛文麿が謎に期待され若くして総理となって国家は大いに迷走した。国民性は変わらないのだろう。
課題2:日本のマスメディアの愚かさと英語教育の課題
国内メディアは「報道」ではなく「ワイドショー」競争をしている。テレビで「英語でフランクな会話を楽しむ姿」を映しているが、これは「英語が話せるだけの愚かな日本人」の姿である。大臣発言の内容の乏しさなどを論考しているのは、ごく限られた報道だけだった。
国民への英語教育はもちろん重要だが、小泉氏の姿から語学力だけでなく「中身も重要だ」という当たり前の論点が日本に広まることを願う。
課題3:大臣指名後即大臣
現在の組閣システムには「新任大臣教育」の期間が少ない。河野大臣のような「担当業務替え」ならばまだしも、新任では閣議に出ていたわけではないので、当然ながら重要機密の全てを知っているわけではない。そのために、どうしても采配を執るために必要な知識を取得するには、時間が必要だろう。つまり大抵の場合、「新任で即戦力」は無理である。
それにもかかわらず、今回のように就任直後から大臣をメディアに晒し、現地や会議に「投入」し、各種の質疑に対応させるこの構造に問題がある。大臣内定後就任前に、一定期間の集中レクチャーを行い、重要論点を脳内に注入する仕組みを作るべきであろう。
ただし、小泉大臣が官僚の言うことを聞かない政治家であった可能性もある。
課題4:日本の対外プレゼンテーション力
今回の件は、海外において、「日本はやはり“idiot ”」という評価が再確認されてしまっただろう。少なくとも相変わらず英語でまともな議論ができていない。小泉大臣のように、たまに英語が話せる大臣がやってきても打ち解けた会話ができる「いい人」に過ぎず、通訳を介さずに真剣なやり取りができる人材は殆どいない。この状況で、「正論を日本語で」語っても日本の考えはなかなか伝わらない。
その点韓国は英語の議論に長けた人材が多く、例えば現在の外相も海外メディアに登場しては、流れるように嘘をついて日本を非難し続けている。日本はそのコミュニケーション能力については謙虚に学ぶべきである。
まとめ
仮定に仮定を重ねた主張には、賛同も否定もしにくい。主張の説得力を維持するためには、仮定は少ないほうがよい。また、相変わらず日本はマスメディアに振り回されているが、いわゆる「メディアリテラシー」を高めてより賢明な世論を形成したい。加えて対外発信能力の向上も現代日本の課題であろう。
一般論としてだが、仮定に基づいて「職を辞せよ」と主張したならば、万一仮定が外れた場合には論者は一体どうすべきなのだろうか。これも仮定の話だが。
田村 和広 算数数学の個別指導塾「アルファ算数教室」主宰
1968年生まれ。1992年東京大学卒。証券会社勤務の後、上場企業広報部長、CFOを経て独立。