「世紀の窃盗」と呼ばれる10年間の放縦(やりたい放題)で、マレーシア人の数十億ドル(数千億円)のお金が失われた(Rewcastle Brown, The Sarawak Report, 2018)。
スイス検察トップの続投決まる
9月25日、スイス連邦議会は7月に予定されていたミヒャエル・ラウバー検事総長の再々任をやっと承認。遅れた原因は、国際サッカー連盟(FIFA)ゼップ・ブラッター前会長の収賄捜査中の、ジャンニ・インファンティーノ現会長との不透明な会談である。2015年、チューリッヒのホテルでFIFAの汚職幹部連を一網打尽にして米国へ引き渡し、ロレッタ・リンチ司法長官に賞賛された頃の活躍ぶりが、どうも変調をきたしている(Bensinger, Red Card, 2018,p.273)。
マレーシアの事件でも自ら現地へ飛び、スイスの企業や銀行の関与を調べると協力約束したものの、1MDBの提携先ペトロサウジ・インターナショナル(ジュネーブ)CEOタレク・オバイド(スイス二重国籍)には手をつけず、同社元幹部で事件をマレーシアの「サラワク・リポート」に外部告発したグザビエ・ジュストを「企業秘密」漏洩で逮捕し、批判を浴びた。
ゴールドマン・サックス(GS)元幹部の「司法取引」
ドイツ人でGS東南アジア代表ティム・ライスナーは、事件が発覚するとマレーシアを出て米連邦検察と「協力取引」。1MDBの社債発行による資金調達を請け負ってGSに莫大な手数料収入をもたらし、会社からはボーナスを、1MDBからは賄賂を受け取ったと供述。
GS自体は米国では起訴されていないが、元社員らの不祥事で会社は被害者として、懸命に捜査協力を続けている。アブダビ国営投資ファンドにも損害が生じたため、営業の重心をサウジアラビアに移し、アラムコのIPOに取り組んでいるところでの、今回の石油施設爆破事件だが、サウジ政府はIPO日程に変更なしとしている。
ナジブ前首相夫妻の汚職問題
1MDBトップは当時のナジブ首相自身であり、中国系マレーシア人の若い実業家ジョー・ローが、首相夫人ロスマ・マンソールの連れ子リザ・アジズと英国の学校で同窓だったことから首相に接近、オフショア会社を通じてのマネーロンダリングと資金の環流・分配をコーディネートした。
巨額損失が明るみに出てマハティール前首相が返り咲くと、ナジブ夫妻は逮捕されて訴追され、現在二人の裁判が進行中。私邸の家宅捜索では、多数の婦人バッグ、宝飾品、現金が押収され、ロスマ夫人は「マレーシアのイメルダ」と呼ばれた。マレーシア国内を開発し、オイルマネーも呼び込む目的が、資金を食いつぶし不況をもたらす結果となった。
ジョー・ローの活躍とセレブ交流
1MDBの黒子役になったジョー・ローは、当時のサウジ国王の息子トゥルキ王子とナジブ夫妻を引き合わせた(Wright & Hope, Billion Dollar Whale, 2018, p.61)。王子が設立したペトロサウジと1MDBの資金で合弁会社を立ち上げ、トルクメニスタン油田の開発に取り組む名目で、関係者全員が金を湯水のように使い始める。
ロスマ夫人の息子アジズは得た金で映画製作会社を経営、レオナルド・ディカプリオ主演の『ウォール街の狼』はアカデミー賞にノミネートされた。「大富豪の青年実業家」ジョー・ローは、ディカプリオやスーパーモデルのミランダ・カーに、有名絵画や高価な宝飾品を惜しみなくプレゼント(後に政府へ返納)。原作は、証券詐欺で有罪となったジョーダン・ベルフォートの同名著作で(終幕にカメオ出演)、製作パーティーで彼らに会ったベルフォートは、「詐欺師の臭いがした」と語っている。
サウジ前国王の死とトゥルキ王子失脚
サルマン新国王の下でムハンマド皇太子が実権を握ると、オバイドは後ろ盾を失う。トゥルキ王子の指示で中国を訪れたオバイドは、経済フォーラムでアラムコ民営化批判演説をした。するとサウジ新政府から帰国命令が届き、空港で待受ける飛行機に乗り出頭するよう下達された。拒むと、テロ組織の一員という情報があるとして、中国側に拘束される。誤解を解いてスイスに逃げ戻り、以後、スイスを出ていない。
ナジブは首相になるとオバイドの手配でサウジを訪問、アブドラ前国王と会談した。内実は、マレーシアからの巡礼増派と引き換えに、政治資金を得ることだった。オバイドは、親しいサウジ記者ジャマル・カショーギに報酬を払いマレーシアに派遣、サウジ訪問の前宣伝にナジブ・インタビュー記事を書かせた。トゥルキ陣営のカショーギは米国に移住するが、トルコでムハンマド皇太子派に暗殺される。現王室批判もさることながら、前王へのナジブ接近に一役買ったのも原因という。
ジョー・ローの中国逃亡
事件発覚後、ジョー・ローは香港、マカオ、そして中国本土へと姿を消した。残された豪華ヨットはマレーシア政府に押収された。NYの高級コンドミニアムやラスベガスの別荘等の在米資産は、連邦政府が差し押さえ。マハティール首相が一帯一路の鉄道建設工事をめぐり中国政府と再交渉する際、中国側は「取引の駒」としてジョー・ローを差し出すのではと噂されたが、それはなかった。
不思議なことに、彼はシドニーの広報業者を通じ自分の名を冠したHPを作らせ、今でも裁判資料や自分の主張を掲示させ続けている。オバイドもジュネーブで優雅に暮らし、米国での自分名義株の差し押さえに異議を唱えたりしている。米中摩擦の行方や、ラウバー検事総長の続投で、変化があるだろうか。
モンゴル人女性通訳殺人事件
ナジブが防衛大臣時代、フランスからスコルペヌ級潜水艦2隻を購入。パリでの交渉には、彼の腹心ラザク・バギンダと通訳の若い女性アルタントゥヤ・シャアリブが同行した。アルタントゥヤはモンゴル出身のモデルで、サンクトペテルブルグ育ち、ロシア語をはじめ数カ国語に堪能だった。ラザクの愛人でもあったが、仏側からの高額コミッションが悲劇を生む。
ナジブが首相に就任したため、マレーシア側に問題は生じなかったが、フランスでは、4名の関係者が予審判事の取り調べを受けている。だが、アルタントゥヤがラザク邸前に現れ、大声で面会と分け前の分配を求めたことから事件が起きた。通報に、ナジブの警護官2名が警察車両でかけつけ彼女を連行した。
それきり行方不明となった彼女の遺体が近郊の森で発見される。頭部を2発撃たれ、軍用のC4爆薬で遺体は損壊していた。目撃された車のナンバーから下手人が判明、警官2人は死刑判決を受けた。ラザクは、証拠不十分で無罪。犯人の一人は上告中逃亡、オーストラリアの収容所にいる。恩赦があれば帰国して真相を話したいと言い、マハティール首相も被害者の父親に再捜査を約束した。
恐ろしい真実か
当時の事件現場には、2名の警官以外にも複数人がいた形跡がある。被害者を監視するためラザクに雇われたインド人私立探偵(のち病死)は、アルタントゥヤがナジブの元愛人でラザクに下げ渡されたと証言。また、ネットメディア主催者は、伝聞として、ナジブ夫人ロスマと彼女の秘書とその夫である爆薬専門家の陸軍将校がいて、遺体爆破は秘書の夫の所行と証言。
そもそも2警官が支給されていたのは、グロックの制式拳銃と実弾だけで、軍用C4爆薬はどこからと問われていた。ロスマ夫人は、アルタントゥヤが妊娠中で養育費込みの分け前を要求したのが許せず、殺害を見届けたというのだが。1MDBを含む数々の汚職事案に続き、この痛ましい事件も解明されるだろうか。
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山下 丈(やました たけし)日比谷パーク法律事務所客員 弁護士
1997年弁護士登録。取り扱い分野は、商法全般(コンプライアンス、リスクマネジメント、株主総会運営、保険法、金融法、独禁法・景表法、株主代表訴訟)、知的財産権法(著作権、IT企業関連)。明治学院大学法科大学院教授などを歴任。リスクマネジメント協会評議員。日比谷パーク法律事務所HP