天皇を「日王」と呼ぶ韓国
10月22日に、「即位礼正殿の儀」が行われる。この儀式を通して、天皇が自らの即位を内外に示す。各国から要人が招かれ、アメリカのペンス副大統領、中国の王岐山国家副主席、イギリスのチャールズ皇太子などの参列が決まっている。
韓国は(イ・ナギョン)首相が参列する予定であると報道されている。多くの日本人が「来るな」と思っているだろう。日本政府も韓国に招待状を出すべきではない。
文喜相(ムン・ヒサン)韓国国会議長が2月7日、ブルームバーグのインタビューで、従軍慰安婦問題を天皇が謝罪すべきと発言したが、この暴言に対する正式な謝罪を求めることが先決であり、招待以前の問題である。招待などすれば、外交儀礼の筋が通らないばかりか、また、いつものように、韓国は「日本が我々の正義に屈した」などと勘違いしてツケ上がるだけだ。
天皇陛下を「天皇」と認めず、「日王」と呼ぶ韓国の参列を拒むのは充分な理由がある。日本のメディアでは、文喜相議長の発言を「天皇」と訳し変えて伝えているが、文議長は実際には、「天皇」とは言っておらず、「王」と韓国語で言い表している。
李明博(イ・ミョンバク)元大統領は2012年、天皇陛下を指して「日王」と呼び、「日王が韓国に来たければ、独立運動家に謝罪せよ」と発言したこともあった。
なぜ、韓国は天皇を「天皇」と呼ばないのだろうか。明治維新を遂げた日本の新政府は1868年、国交と通商を求める国書を朝鮮に送った。しかし、朝鮮はこの国書の受け取りを拒否した。国書の中に、「皇」や「勅」の文字が入っていたからである。「皇」や「勅」を使うことができるのは中国皇帝のみであり、こうした国書は日本の中国皇帝に対する挑戦であり、容認できるものではない、と朝鮮は考えた。これは、華夷秩序という儒教に基づく考え方で、中華に周辺国が臣従することにより、国際秩序を維持すべきとするものだ。
朝鮮はこうした考え方を歴史的に有しており、天皇を「皇」の字のある「天皇」とは決して呼ばず、「倭王」と呼んでいた。近代以降は「日王」と呼んだ。中国皇帝に服属する朝鮮王が中国皇帝と対等な「天皇」を認めてしまうと、朝鮮は日本よりも下位に置かれてしまうことになるため、「天皇」を頑なに拒み続けた。
朝鮮王が「陛下」ではなく、「殿下」と呼ばれたワケ
皇帝や王などの最高地位者には、「陛下」の敬称が用いられるが、例外があった。かつての朝鮮王である。朝鮮王は「陛下(ペハ)」ではなく、一段格下の「殿下(チョナ)」と呼ばれた。朝鮮は歴史的に独立した国家ではなく、中国の属国だった。その王は中国皇帝の配下であり、「陛下」と呼ばれる一国の主権者ではなかった。
中国には、郡国制という地方制度があった。これは地方に諸侯王を配し、彼らに地方政治を委任するという制度である。漢王朝の時代に起きた「呉楚七国の乱」という反乱があるが、呉や楚などの七国は「国」と称されものの、「国家」ではなく、漢王朝の一部としての地方に過ぎない。諸侯王は「王」と称されるものの、いわゆる「国王」ではなく、漢王朝の地方知事の役割を背負っていた。
中国は周辺諸国(地域)の君主や首長に王や侯などの爵位を与え(冊封)、藩属国として中国の影響下に置いた。これにより、様々な程度の差はありながらも、中国は周辺を従属させた。この中国中心の統治システム・国際秩序は冊封体制と呼ばれる。
中国には、こうした郡国制や冊封体制のような伝統もあり、「国」や「王」が多用されることがあるが、それは近代で使われる主権国家の国や国王とは意味が異なる。
李氏朝鮮3代目の太宗が明王朝によって、朝鮮王に冊封されるが、これも「郡国」的な意味における諸侯王という扱いに過ぎない。そのため、朝鮮の王は「陛下」ではなく、「殿下」と呼ばれる。その世継ぎも「太子(テジャ)」ではなく、一段格下の「世子(セジャ)」と呼ばれる。この他、朝鮮王に「万歳(マンセー)」は使われない。「万歳」は中国皇帝にのみ使われるもので、朝鮮王には「千歳(チョンセー)」が使われた。明確な序列関係があったのだ。
華夷秩序の闇に後戻りする韓国
かつて、ソウルの西部には、迎恩門と呼ばれる、中国の勅使を迎えるための門があった。朝鮮王は中国の勅使がやって来る時、自らこの門にまで出向き、三跪九叩頭の礼で迎えた。三跪九叩頭の礼とは、臣下が皇帝に対して行う最敬礼である。皇帝の内官(宦官)が甲高い声で「跪(ホイ)!」と号令をかけると、土下座し、「一叩頭(イーコートゥ)再叩頭(ツァイコートゥ)三叩頭(サンコートゥ)」という号令の度に頭を地に打ち付け、「起(チー)」で立ち上がる。そして、また「跪(ホイ)!」で、土下座して同じ行動をする。この土下座行為が計3回繰り返される。
中国の朝鮮支配が長く続いたが、1894年の日清戦争で、日本が清王朝と戦い、勝利し、翌年、下関条約により、清が朝鮮の独立を承認した。1897年、独立した朝鮮は「大韓帝国」と国号を名乗った。「韓」は王を意味する雅語で、古代において、三韓にも使われていた。朝鮮王は皇帝となり、「殿下」ではなく、「陛下」と呼ばれるようになった。
当時、朝鮮の人々はこれを非常に喜び、中国への隷属の象徴であった迎恩門を取り壊し(屈辱を忘れない為に、2本の迎恩門柱礎だけを残し)、新しい門を同じ場所に建てた。これがソウル西部の西大門広場に今も残る「独立門」である。
朝鮮は長い歴史の中で、自らの王を「陛下」ではなく、「殿下」と呼び、華夷秩序の従属に縛られてきた。しかし、下関条約後、朝鮮は大韓帝国として独立し、朝鮮王は皇帝となった。朝鮮は華夷秩序から脱却するという歴史的悲願を達成した。
韓国が天皇陛下を「日王」などと呼ぶことはかつて民衆を苦しめた華夷秩序の闇に後戻りし、自らの歴史を否定することと同じである。
話題の『反日種族主義』の著者、李栄薫(イ・ヨンフン)教授は以下のように述べている。
「多くの韓国人は朝鮮王朝を非常に美しい高尚な人の国だと考えている。 そして非常に不道徳で暴力的な日本帝国主義が入ってきて朝鮮王朝を滅亡させたと考えている。そういう歴史教育、歴史意識を持っていては、決して大韓民国は先進社会、先進国として発展することが出来ないだろう。」
著者講演会お知らせ
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開場:18時45分 開演:19時15~21時15分
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宇山 卓栄 著作家
1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。大手予備校にて世界史の講師をつとめ、現在は著作家として活動。『「三国志」からリーダーの生き方を学ぶ』(三笠書房)、『世界一おもしろい世界史の授業』(KADOKAWA)、『世界史は99%、経済でつくられる』(扶桑社)、『民族で読み解く世界史』(日本実業出版社)などの著書がある。