集合写真に気をつけろ、差し迫る肖像権問題

東京である会議に出席していたところ、思わぬ内容で盛り上がりました。肖像権です。「集合写真には気をつけろ」というわけです。正直、私は写真嫌いで無頓着なのであまり気に留めていませんでしたが気になる話題でしたので皆様とシェアしたいと思います。

ロスアンジェルスから出席していた方が「集合写真を撮るとき、そのご家族の子供が写真を撮るとき背中を向けた」というのです。母親が「その集合写真の団体と関係ないから子供の顔は撮らせない」というのがその理由です。

my beloved dogs/写真AC(編集部)

皆さん、必ず経験があると思います。集合写真を撮るときはカメラマンが「はい、そこの赤い服着た方、もう少し中に」「そうそう、そちらのスーツの方、もうちょっと顔を出してくださーい」などといってニコッと笑って写真に納まります。その写真、その数時間後にはフェイスブックに上がっていて全然関係ない人から「〇〇さんのイベントに行っていたんだ」と言われたことありませんか?

何の関係もない人が他人の集まりの集合写真をみて「あぁ、〇さんと△さんもきている」と人間関係に勝手な想像力を膨らませているわけです。(人の「のぞき見心理」は恐ろしいほど深いものがあります。)今は「あはは!」でいいのですが、もしかするととんでもない時代が来るかもしれません。

ニューヨークから出席していた方はさらにこんなことを発言します。「集合写真で胸に名札を付けているものは絶対ダメ。これで本人と名前が完全一致してしまい訴えられたら一発アウト」と指摘していました。私は思わず、「アメリカはカナダよりセンシティブかもしれないですね。」とつぶやいてしまいました。

ところがその後の全体会議では日本における肖像権に関する意見が飛び交います。集合写真をウェブ等にアップできるのか、という議論です。解像度を落として特定できないようにしているとか(それじゃ集合写真の意味をなさないですね)、事前に承諾を得るといった対策を取っているという意見が出ます。

ただ、承諾についても口頭であり、発言している人も法的にどこまで対抗できるのか自信なさげで「大丈夫だとは思いますが、気になるようなら書面で」というわけです。

集合写真なんてノリで撮るもので撮る前に「では皆さん、こちらに承諾のサインをして」とはならないでしょう。ならばそのうち「私は写真に入らない」という拒否権行使をする人が続出して集合写真にならなくなるかもしれません。

写真に関して最大の変化は「紙のアルバム」が「ウェブアルバム」に変わったことであります。学校を卒業する時の記念アルバムには集合写真が欠かせません。欠席した人は写真の隅に丸く顔写真だけわざわざ追加して掲載したりしていました。こんな写真集がごく平然と配られていたのは紙のアルバムが前提だからであります。

が、このアルバムがネットに掲載され、それが公開されたとしたらどうでしょうか?騒ぎになるはずです。恐ろしい時代です。

今のスマホは写真機能がどんどん進化しています。アップルは今回の新型で3つのカメラを搭載、サムスンやファーウェイは4つになりつつあります。これは使う側からすれば鮮明な画像が撮れるということなのですが、見方を変えれば顔認証とAI技術でどうにでも利用できるということになります。

例えば技術的には集合写真の被写体の人物を顔認証でチェックし、特定したうえで人間相関図を瞬時に作り上げることも可能でしょう。これは誰と誰がつながっていて誰と誰は仲が悪いということすら見ようと思えば見えてしまうことを可能にします。(もちろん、法律違反ですが法律は技術進歩について行っていません。)

我々はネットでもフェイスブックでも写真や動画を見ることが当たり前になっています。上述のようにちょっとしたスマホでもプロ顔負けの高画像の写真がお手軽に撮れるようになっています。しかし、それを防御する個人の権利は完全に置いてけぼりになっています。

公開する写真、しない写真、写真の管理などあまりにも面倒な時代になりつつあります。個人情報を守るということで団体の住所録などはウェブには載せませんし、電話帳もなくなりました。今は住所氏名がわからなくても顔を見れば誰だかわかってしまう時代です。

近い将来、ある集まりに行って顔は分かっているけれど名前が思い出せないという時、その人にスマホを向けると瞬時にその人の名前や経歴がスマホに出てきたらどうですか?「お名前思い出し機能」と称して実はもう完全にプライベートなんてなくなっているとすれば諦めるのか、徹底抵抗するのか悩ましい時代になったものです。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年9月29日の記事より転載させていただきました。