消費増税に怒ってる人が陰謀論にハマる前にやるべき事

政権に言いたいことがあるならば、アベ叩きの陰謀論にハマる前にやるべきことは?

消費税があがったことについて色々と反対意見の人も多いでしょうし、それこそ「霞ヶ関」とか「自民党」とか「経団連」とか、(経団連以上に「経済同友会」が個人的にはかなり好きになれないんですが)、いわゆる「今の日本の舵取りをしている層」に対して、不満や反感を覚えている人も多いと思います。私も色々と言いたいことはある。

1日に消費税率引上げについて記者会見する安倍首相(官邸サイトより:編集部)

ただ、現政権のあり方に対する不満を、変な陰謀論みたいなものに吸い寄せてしまって、インターネットの中で何かを叩いて溜飲を下げているだけでは、むしろその「改善要求」をちゃんと実現していくことから離れていってしまうことにもなりかねません。

「何かを叩いて溜飲を下げる」というレベルで言えば、韓国を叩いて溜飲を下げるのも、アベ政権とその関係者を叩いて溜飲を下げるのも、あまりレベル的に変わらないところはやっぱりあります。

リベラルメディアが「アベやトランプやその他欧州極右勢力とそれを支える大衆のエネルギー」に対抗してリベラルの理想をあくまで取り下げずに世の中に広めていこうと思うのなら、彼らを批判するだけでなく、自分たちの望む「改善要求」を自分たちでまとめあげていって、政治的に実現するよう働きかけていく努力が必要なように思います。

右の大衆扇動メディアがあるように、左にも大衆扇動メディアがある。その両者が陰謀論レベルに「敵側を攻撃すること自体がコンテンツ」みたいな活動をすることは仕方のないことでしょう。

しかしリベラルな理想を持つメディア関係者が、こぞってそのスポーツ新聞レベルの扇動方法で、「やられたらやりかえす」的なことしかしない状況が続くと、どれだけ必死に「アベ側」の勢力の問題を焚きつけようとしても、結局選挙における「民意」は私たちリベラル側に微笑むことはないように思います。

「権力をチェックする」だけでなく「自分たちの理想を実行する役割の人」を育てていくべき

要するに、

「権力をチェックする役割」はもちろん大事なんですが、同時に「現政権がかわりに取り入れるべき政策」について、自分たちで用意し、それを批評してブラッシュアップし、まとめあげていくこと自体も、リベラルメディアのもう一つの責任

だと覚悟することが必要な時期に来ているように思います。

たとえば税金の使い方がおかしいと感じ、何らかの是正を求めていきたいとなった時に、単に「気持ちよくアベを叩けるネタ」の一つとしての扱いにしてしまうと、政権関係者や、国民の半分以上は確実にいる政権の支持者に対してちゃんと要求を伝えていくことができなくなりますよね。

大事なのは、

現状国民の1割程度しかいない「野党の支持者」の中で盛り上がる言論ではなくて、「政権側にいたり無党派だったりする層で、相互理解可能な層」に語りかけることであるはず

ですよね?

「野党支持者」的な人以外でも、「もっと再分配に気を使ったお金の使い方をすべきだ」と考えている人も多いし、日本企業は利益を溜め込みすぎていると批判する市場関係者も多いし、消費増税は景気を冷やす効果があるから良くないので、現状の「法人税サゲ、消費税アゲ」路線自体を見直すべきだと考えている人も多い。

「アベ叩きの陰謀論」みたいなので盛り上がってると気分はいいかもしれませんが、そういう「1割の野党支持者以外」の”外側”へのコミュニケーションが途絶してしまい、本来協力しあえる層が静かに回れ右して去っていってしまうことになる。

これは来年1月に私が出す新刊「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」からの図ですが、

大阪から新宿行くって言った時に、「とにかく今すぐ東へ行くぞ!できるだけはやく東にいければそれでいいぞ!」みたいなのが大阪にいる時には必要だけど、もう品川までついちゃったら、「ここからは山手線で8駅目で降りなきゃだよ。7駅目でも9駅目でもダメだよ」ってことをちゃんと扱う必要が出てくる。

この2つは、明らかに仲悪いですけど、でも本来は、「受け渡し」がちゃんと行われないと、描いた理想を実行に移せないわけですよね。

つまり、たとえば

・はてしない「消費増税・法人税サゲ」に批判的な層は実はかなりいるが、彼らはあまりに「懲罰的」なまでに法人税を上げてバランスが崩れ、結局経済を冷やしてしまうことを恐れている

・たとえばソフトバンク社が高度な節税方法を使って法人税をかなり節税してしまっていることを問題視している人はかなりいるが、彼らはあまりに過剰な取り立てルールを作ることで実際上の問題が起きることを恐れている

・たとえばアベ政権がアメリカの戦闘機を買いすぎだ・・・と思っている層はかなりいるが、ちゃんと隣国との拮抗関係を維持できる程度の軍備を維持することは平和のために不可避に重要だというところまで否定されるのは怖いと思っている

・・・みたいなすれ違いがここにはあるわけですね。

だから、「相手側の懸念」もちゃんと理解した上で相互コミュニケーションが成り立つように持っていけば、より広い共有基盤が出来上がって実現まで進んでいける可能性は高い。

一方で「相手がいかにバカでアホで自分たちのことしか考えてないカスか」みたいなことをアピールしまくったらこういう回路が途絶してしまうので、余計に具現化まで進んでいけなくなる。

現政権のなにかに反対だとして、単にそれを「アベ叩きをやって溜飲を下げるネタ」に使ってしまうと、「反対は反対だけど、現実的なバランス感覚というものは失いたくない」という実務的な態度を持った層を巻き込むことができなくなってしまいます。

ほんの一部の過激派がネットでナルシスティックに騒ぐだけで終わります。彼らが「日本はほんと終わった。この奴隷根性の日本人どもとか滅べばいいのに」とか言いまくれば言いまくるほど、”普通の有権者”がその運動に乗っかってきてくれる要素がさらに減っていってしまうでしょう。

そりゃあ、右に扇動メディアあれば左に扇動メディアありだから、そういう人たちがいるのは避けられないでしょうけど、「リベラルメディアのちゃんとした理想」を抱いている人がやっていることが、このレベルのことでいいんでしょうか?

よくないですよね?

たとえば戦闘機を90機でなんとかすればこうなる・・・というような議論をもっと

単純化していうと、

「戦闘機100機も買うなんて!アベはアメリカの犬!その額で本当はこんなことができたのに!!!」

って盛り上がるだけ盛り上がってしまうと、「じゃあ戦闘機ゼロでもいいわけ?」という層が怖がって参加できなくなってしまう。

そこで、

「90機あればなんとか防衛体制を作れる。その10機分の予算をこういうところにまわすべき」

という言論を、リベラルメディアがちゃんと引き上げることができるかどうか・・・それが、ちゃんと「大衆の信頼を取り戻す」リベラルメディアのあるべき姿ではないでしょうか。

私は経営コンサルティングのかたわら、「文通を通じて個人の人生の戦略を考える」みたいな仕事もしてるんですが、こないだまで、某巨大野党の国会議員さんがクライアントだったことがあるんですよね。

脱原発について彼が党でまとめたペーパーは、すごくここでいう「山手線言論」になっていて、微に入り細に入り色んな可能性が検討されていて、「こういうのちゃんとあるんじゃん!そうそう、こういう話を進めていかなくちゃ脱原発なんてできないよ!」と思ったんですが、そういうのは「妥協だ!」とか言って党の中で潰され、マスコミでも扱われず・・・・結局その党は解体されて延々と1割ぐらいの支持率を複数政党で争い続けているのは皆さんの知るところです。

結局彼とは落選とともに縁が切れてしまったんですが、ああいう風に「ちゃんと準備してる」野党議員をマスコミが全然引き上げてあげられてないこと自体、リベラルメディア全体で反省するべきことがかなりあるんじゃないでしょうか。

政権のスキャンダルに飛びついてセンセーショナルに伝えてページビューを稼ぐ努力の半分ぐらいでいいから、「リベラル側の理想を具現化レベルにブラッシュアップしようとしている人びと」を探し回って、しかもちゃんと批判的に鍛え上げて政策過程に載せていく・・・そういうプロセスが沈黙している現状は、リベラルの理想からするとなにか根底的に間違っているところがあるように思います。

リベラルなマスコミの責務は彼が作ったそのペーパーみたいなものをちゃんと引き上げることであるはずなんですが、それをせずに変な陰謀論を振り回したり「敵」を凄い下に見て冷笑したり罵倒したりしかしてない感じがするところが、今の時代の「リベラル冬の時代」的な苦境の元凶ではないでしょうか。

別に「アベ側」にいる人たちに膝を屈して従えとかそういう話では全然ないわけですが、リベラルメディアが、単に「アベ叩きで溜飲を下げるスポーツ新聞レベルの騒ぎ」に参加するだけで、ちゃんと「自分たち側の政策課題を現実的に精査して積み上げている人」を全然サポートしていない現状自体は、リベラルの理想から言って恥ずかしい怠慢だと言えるのではないでしょうか。

「単に溜飲を下げるためのアジテーション」ばかりをスター化して「政権批判」に100%突っ込んでいるエネルギーの半分でいいから、「自分たち側の理想の実現プロセス」について、地味な議論をしている人たちをちゃんと引き上げ、スター化し、そしてちゃんと自分たち内部で検証して実効性のあるものに仕上げていく、そういう仕事こそが、今リベラルメディアには求められているはずです。

最後に

「議論と言う名の罵り合い」の時代をおえて、「本当に問題を解決するための対話」の時代をはじめましょう。

そのための私の5年ぶりの新刊、

「みんなで豊かになる社会」はどうすれば実現するのか?

が、来年1月にディスカバー21社から出ます。長く時間をかけただけがあって、本当に自分の「すべて」を出し切れた本になったと思っています。

現在、noteで先行公開しており、無料部分だけでもかなり概要がつかめるようになっていますので、この記事に共感された方はその無料部分だけでもお読みいただければと思っています。

こちらから。

同時に、その話をさらに推し進めたところから、日韓関係をはじめとする東アジアの未来の平和はこの視点からしかありえない・・・と私は考えている提言については、以下をどうぞ。

21世紀の東アジアの平和のためのメタ正義的解決法について

それではまた、次の記事でお会いしましょう。

倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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