10月に入り、我が国を取り巻く安全保障環境の厳しい現実を突きつけるニュースが相次いだ。
中国が1日に行った軍事パレードでは、新型大陸間弾道ミサイル「東風41(DF41)」や “グアム・キラー”「DF26」など多くの有力なミサイル兵器が登場した。注目はDF41(東風41)で、最大射程1万2000キロ以上、車両移動式、10個まで核弾頭が搭載可能で、迎撃は困難と分析されている。
翌2日には、北朝鮮が新型SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)「北極星3」を発射した。(実際には海中に設置した発射台を使ったとみられる。)
高まる軍事的緊張状態
元航空自衛隊情報幹部(空将補)の鈴木衛士氏は「北朝鮮がSLBM発射に踏み切った理由」(アゴラ10月3日)の中で、次のように分析されていた。
これが事実だとすれば、北朝鮮は最近の一連の短距離弾道ミサイル発射に続いて、準中距離弾道ミサイルのSLBMを(試験)発射することによって、一段階エスカレーション・ラダー(軍事的緊張状態)を上げた。
これらは第一に米国向けの政治的メッセージであり、実際には決して抜くことのできない「伝家の宝刀」的な武力である。なぜなら、もし実際に使用して相手を打倒するつもりであれば存在や能力は秘匿すべきであり、使えば自国も滅びるからからだ。
「専守防衛」とは
「専守防衛」という言葉について防衛白書に説明が掲載されていた。
専守防衛とは、相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢をいう。(令和元年版防衛白書P202より抜粋)
通常爆弾をレシプロ飛行機で落としていた約80年前でさえ、第一撃で奇襲された場合、オアフ島の飛行場も真珠湾の太平洋艦隊も甚大な被害を受けた。今や核爆弾を超音速のミサイルで投射し、無差別に大量破壊できる時代である。まず第一撃を受けることが前提の国防戦略では、一体何百万人の命が失われるのか。また、抑止力と反撃は米国の担当であるが、肝心の米国大統領が「米国に届かない短距離ならば問題ない」という言動をする時代である。
日本国民の生命や安全を託すには慎まし過ぎないだろうか。集団的自衛権は理解しているが、日本が独立国家であるならば、節度を守った上で反撃力(と抑止力)は自国でも持つべきだろう。
「専守防衛」のはじまり
「専守防衛」という言葉を、国家として正式に使用したのは、1955年7月5日が最初のようである。杉原荒太大臣(防衛庁長官)が内閣委員会で、自衛隊関連の諸法案に関する質疑の中で使用した。
今後の国の防衛というものは侵略というのではなくても、ほんとうに専守防衛というふうな上からいたしましても
(第二十二回国会 衆議院 内閣委員会議事録第三十四号 三頁 より引用、太字は筆者)
その後、1969年(昭和44年)頃から使用されはじめ、特に中曽根康弘防衛庁長官(当時)と田中角栄首相(当時)がよく使用し、1981年頃にはほぼこの形で確定したようである。(参照:国立国会図書館「レファレンス」2006.5「専守防衛論議の現段階」等 雄一郎氏より)
「非核三原則」とは
核兵器を「作らず、持たず、持ち込ませず」という非核三原則は1967年12月、当時の佐藤栄作首相が衆院予算委で表明し、以後「専守防衛」とセットで日本の「基本方針」となった。しかしこれらはその後、自衛隊の装備や活動に大いに制約を加えることになる。その弊害は、正面からの議論を逃れてきた歴代政治家たちの不作為の結晶であり、一掃すべき負の遺産である。
ところが実は、沖縄返還交渉の際、日本政府はこの三原則に沿わない「密約」をしていたことを、池田信夫所長が下記の通り指摘している。
1969年11月の佐藤=ニクソン会談で、核持ち込みの密約が結ばれた。(中略)この密約には重要な含意がある:非核三原則の第3原則(持ち込ませず)は嘘だということである。
(出典「非核三原則の「持ち込ませず」は嘘である」アゴラ2017年9月11日)
「専守防衛」とは、メディアから「自衛隊を防衛する言葉」
結局「専守防衛」とは、「マスメディアや野党から自衛隊を守る」ための「言葉の楯」だった。自衛隊の役割と憲法9条との整合性をつつかれたときに、「敵地を占領しない」「先に攻撃を受けてから」などと議論の「矛先」をかわすために使われ60年も経過してしまった。今や言葉の意味が硬直化し、あたかも憲法に明記されている「国是」かのように広く国民に錯覚されている。
しかし日本の安全保障環境は激変し、これら「国是」は時代遅れとなった。
環境変化① 相対的防衛力の弱体化
中国は1970年代以降核兵器を実装し、現在弾道ミサイルは合計450発程度保有しているとみられる(防衛白書P64)。軍事費については1988年には215億元だったものが2019年1兆1,899億元と55倍に拡大した。日本円では20兆2,279億円になり、これは日本の5兆70億円(2019)の4倍である。北朝鮮も核兵器の小型化・弾頭化を実現したと見られ、軌道の複雑化や水中発射など投射能力も進歩し続けている。
対する日本は、米国の来援までは「打たれ放題でガードしかしないボクシング」または「好きなだけシュートを打たれこちらはゴールで守るだけのサッカー」で耐えるしかない。
しかし「イージスシステム」は神話にあやかった名前だが現実には決して「神の楯」ではなく、迎撃実験では失敗も記録している。技術的にも規模的にも、日本の防衛力は弱体化した。もはや「楯」だけでは「来援を待つ」わずかな時間さえ守りきれない。
(令和元年版防衛白書および「国際軍事情勢(我が国周辺情勢を中心に)平成21年1月 防衛省」より引用)
環境変化② 米国の対中朝・対日政策
「専守防衛」の大前提は、米国との役割分担である。日本が「楯」、米国が「槍」である。自衛隊は守るだけで、敵策源地への攻撃は米国に任せるという分担である。しかし、トランプ大統領は米国の片務性に不満を述べたと言われる。
また米国は、対中貿易戦争の最中にあり、対北政策も迷走ぎみだ。果たして有事の際に従来通りの役割を米国が担ってくれるだろうか。同盟国日本の役割分担も当然拡大するものと想定すべきである。
環境変化③ 国民の野党・マスメディア離れ
自衛隊は常々国内の野党とマスメディアから攻撃を受け続けてきた。しかし災害救援活動を通じて、国民からの支持は高まっている。逆に野党とマスメディアの無責任な言説は、日本に対する有害性が認識されており、「反政権・反日キャンペーン」の影響力は低下している。今や、一番やっかいだった朝日新聞も「陥落」した。
結論:「専守防衛」と「非核三原則」を見直せ
時代が変化したので、以下の議論を行って国防方針を見直すべきときであろう。
論点① 敵基地攻撃能力・長距離ミサイル等は保有すべきか否か
論点② 米国に核を持込ませるべきか否か
論点③ 抑止力としての核戦力(電磁パルス攻撃兵器)・原子力潜水艦は保有すべきか否か
(筆者は、①と②は是、③は技術研究のみ是、実装は非)
ただし今国会で憲法改正とこのテーマを同時並行で議論することは困難だろう。
米国には、ジョーク好きで「俳優」と嘲笑されつつも「スターウォーズ計画(SDI構想)」という「冗談」をリアルに「演じ」、真面目な技術者と為政者をだまして強敵ソ連をやっつけた偉大な大統領がいた。日本も、政治的「口」撃力くらいは今すぐ保有したほうがいい。
田村 和広 算数数学の個別指導塾「アルファ算数教室」主宰
1968年生まれ。1992年東京大学卒。証券会社勤務の後、上場企業広報部長、CFOを経て独立。