ノーベル賞が取れる日本の強みと課題

旭化成の名誉フェローで名城大学教授の吉野彰氏がノーベル化学賞を受賞しました。日本人としては27人目の受賞になります。うれしい話です。

今年のノーベル化学賞に選ばれた吉野彰氏(NHKニュースより:編集部)

ノーベル賞の受賞者を国別でみるとアメリカ、英国が圧倒し、あと日本を上回るのはドイツ、フランス、スウェーデンしかありません。ノーベル賞が1901年から始まり、日本人で初めて受賞したのが1949年の湯川秀樹氏(当時42歳)ですがこれにはたしか政治的配慮があったと記憶しています。その後、60年代、70年代、80年代に2人ずつ、90年代に1人だったのが2000年代から急増しています。

年齢的な考察をすれば戦後、研究開発をする体制が整い、日本人の得手とする発明や改善を通じて爆発的な成果を上げ、その成果が評価されてきたとも言えます。

今回の吉野教授の受賞も素人目には改革とひらめきだったように見受けられます。もともと同氏はポリアセチレンの専門家でそれを使って電池ができないかと思っていたところに特殊な炭素繊維を使うとうまくいくと気が付き、リチウムイオン電池が生まれたということかと思います。今や、世界中の人がスマホやパソコンのバッテリーから電気自動車まで使うリチウムイオンが同氏の基礎研究で生まれたと考えれば我々日本人は誇り高いものを感じます。

また同氏関連の記事に「壁をありがたく思え」とありました。我々日本人の特性の一つとして粘り強さがあると思います。特に研究分野などでは一進一退の日々が続き、そのゴールが見えにくい中、コツコツと積み上げて壁を何枚も乗り越えていくのです。大変な忍耐力を要する作業だと思いますが、これを家族を含め皆で支え合っていったケースが多かったと思います。今までノーベル賞を受賞されたケースを見ていると奥様の支えがあってこその受賞だったな、と思うことがしばしばありました。今回の吉野教授の奥様もきっと献身的に支えられたのでしょう。

以前から言われていましたが日本は今しばらくノーベル賞候補者が続き、受賞者は増えるのではないかと見られています。しかし、その後がどうなるのか、心配されています。日本人のメンタリティはそう変わらないのですが、研究環境は大きく変化しつつあります。今の40-50代の方々の研究成果が賞となって評価される20-30年後も果たしてノーベル賞がコンスタントに取れるのでしょうか?

例えば欧米の研究施設には巨額の資金があります。多くは卒業生や企業からの寄付などで支えられています。また全体的にややドライで短視的なものの見方が増えてきているような気もします。今すぐの成果や結果を求める体質です。結果が出なければいつまでも研究費は出せないよ、という割り切りもあるかもしれません。また基礎研究分野は地味な分野でありますが、世の中の生活基盤が激変する中で新たな夢を追う気持ちを持ち続けるのはたやすいものではありません。

ところで日本が得意とする特定の専門分野の深堀の成果をうまく利用し展開するという意味では我々はやや不得手なのかな、と感じます。せっかくの研究成果をなぜ、世のため、人のためにビジネスに落とし込むのが上手ではないのか、この辺りが日本の企業のマインドに変化を求めたいところです。

いみじくも吉野教授は教え子たちには考える授業を施してきたそうです。受け身ではなく、どうしたら解決できるか、自分で考えるのです。日本の多くの企業はマニュアル文化となっており、社員にものを考えさせず、すべての対応はマニュアルに沿った形で行われます。コンプライアンスなどの理由によりそれはそれで重要なのですが、思考能力を求めない今の企業体質には大きな疑問が残ります。

なぜ、こうなのですか、と聞けば「そう決まっているから」としか答えが返ってこない会社とやり取りしていると世界の中でも有数のノーベル賞受賞国となりつつある日本の表と裏という感じすらします。

我々はノーベル賞の受賞を喜ぶだけではなく、その背景とあるべき姿を自分たちの行動規範と結びつけて考えるべきではないでしょうか?

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年10月10日の記事より転載させていただきました。