「北朝鮮主催国際シンポジウム」の話

写真で綴る北取材の「思い出」③

写真は、ウィーン市内の「ホテル・イン」で開催された朝鮮半島の非核化地帯設置に関するシンポジウムの風景だ(1991年9月)。同シンポジウムはパリ近郊に本部を置く北朝鮮のフロント組織「朝鮮半島の平和的再統一のための国際連帯委員会」(CILRECO)と「オーストリア・北朝鮮友好協会」が共催した。

写真:ウィーンの「ホテル・イン」で開催された北朝鮮主催「国際シンポジウム」の風景

シンポジウムの目的は、核拡散防止条約(NPT)加盟国の義務である国際原子力機関(IAEA)との保障措置協定(核査察)の調印を求める国際社会の圧力をかわすためで、北朝鮮が在韓米軍核兵器の撤去と「南北非核地帯設置」を目的に打ち出したプロパガンダ・キャンペーンだった。

同シンポジウムは駐オーストリアの北朝鮮大使館関係者がホスト側として会議の進行や様々な手配を担当していた。事前の取材の許可を受けずに会場に現れた当方に対して、金二等書記官は取材を認めてくれた。世界から集まったゲストの手前、大声で当方を会場から追放できないと判断したのだろう。

出席者リストをみて驚いた。ギリシャのアテネからは北大西洋条約機構(NATO)の空軍退役大将ゲオルゲ・バスタ空軍将校の名前があった。NATOの軍事情報が当時、親北派の政治家、軍事関係者を通じて北側に流れていたわけだ。CILRECOにつながる人脈は驚くほど多方面に広がっていた。

国際主体思想研究グループの会長だったハンス・クレチャツキ教授(オーストリア元法相)は当時、当方とのインタビューの中で、「平壌市内では醜く太った市民も、不潔な服を着た子供も見たことがない」と語っていた。大学教授や政治家たちの訪朝談はこの種の証が当時、多く聞かれた。

同教授は北朝鮮が民主国家ではないことを認めたうえで、「米国の民主主義が果たして理想だろうか。米国の国内問題を見ればその答えは一目瞭然ではないか。離婚、麻薬問題、犯罪の急増などの難問を抱えている。北朝鮮には言論の自由がないことは確かだ。言論の自由を謳歌している欧州の現状はどうだろうか。彼らは多くのことを自由に語るが、混乱と怠慢に陥り、何ら高尚な行動をしていないではないか。北朝鮮には自由はないが、最低、秩序がある」と説明していたことを思い出す。

あれから30年余りが経過したから、主体思想研究グループに所属する政治家、知識人の考え方も変わっているだろう。変わらない点は、親北知識人、政治家は反米だということだ。米国が嫌いだから、その反対に位置する北朝鮮に心がいくわけだ。

ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年10月13日の記事に一部加筆。