慈母に敗子あり

日本経済新聞に先々月25日、『すぐ怒る自分を変えたい 講座に年24万人、6年で29倍-トラブル防ぐ「アンガーマネジメント」』と題された記事が載っていました。当該講座では、『1970年代に犯罪者の更生プログラムとして米国で生まれた心理トレーニングを活用し、怒りのメカニズムを学び「許せる範囲」を広げる訓練を重ね』たりしているようです。

王陽明の言、「天下の事、万変と雖(いえど)も吾が之に応ずる所以(ゆえん)は喜怒哀楽の四者を出でず」の中にも「怒」が含まれているように、怒りという感情を持った動物として天は人間を創りたもうたのです。故に、之を消失することはある意味で不可能だと私は思います。

ですから、怒る時には下らない事柄で怒るのではなくて、社会正義に照らし正しいかどうかを判断基準として、常に抑えるべきところは抑え、真に怒るべきところに怒らねばなりません。しかしながら最近の世の風潮を見ていますと、余りにも詰まらない対象に対して此の感情を剥き出しにしている、といったケースが多数見受けられます。

それは例えば、『あおり運転を含む道路交通法違反の「車間距離不保持」の摘発件数は1万3025件(18年)で前年の約1.8倍』ということで、今年に入っては常磐自動車道での宮崎文夫容疑者による一連の言行が象徴的だと思います。之は、怒る必要が全くない時にも拘らず訳も分からず直情で激昂しているものであって、私は、自分を律する・自分を抑える自制心が著しく欠如しているのではないかとの印象を受けています。

では、何故に自制心が働かず直ぐに怒りの感情を吐露するようになってきたかと考えますと、今月3日のブログ同様これまた教育の問題に行き当たります。要するに、きちっとした自制心を育むような親の躾(しつけ)なり学校教育が為されていない、即ち、我儘(わがまま)になっているのではないでしょうか。

とは漢字で書くと、身を美しくするという形ですが、之は必ずしも外見上のことではなくて、内面的な美しさを持たせるようして行くものであります。ところが我国では戦後不幸にも長年に渡って、家庭・学校をはじめ社会全体で上記のように子供を躾け育てて行くような状況ではなかったのです。そして子供の時から我儘放大に育てられた結果として、自分の思うことが思う通りに出来なかったら直ぐに周りに対し怒りの感情を吐露するようになっているのではないか、と私は見ています。

『韓非子』に、「厳家に悍虜(かんりょ)なく、慈母に敗子あり…厳しい家庭になまけものの召使いはいないし、過保護な家庭には親不孝者が育つ」という言葉があります。学校での試験の点数さえ良かったら「いい子」になってしまう成育環境こそが、今日の「敗子」を生んできているのではないでしょうか。我々は先ず第一に、子供達の自制心を育んで行く場に道徳教育を加えなければ、何時まで経っても此の社会は中々良くならない、と思います。

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