今日は今後メディアに頻繁に登場するであろう言葉をご紹介します。英語でEthical (エシカル=倫理的な、道徳的な)です。エシカル消費という言葉が代表的ですが、ウィキによるとエシカルジュエリー、エシカルヒーロー、エシカルインベストメント…といろいろ派生語があるようです。
倫理的、道徳的ということですから法律などルールに縛られるのではなく、人間が人間としての発想を原点に正しいことを行うということでしょう。
例えばスーパーマーケットでビニール袋は貰わずに持参したエコバックに入れる、冷たいドリンクを飲むとき、ストローを使わない、食品ロスを減らす、被災地の産品を積極的に購入するといったことが挙げられます。
日本人は倫理道徳観を前面に押し出し始めるとややエキストリームなことがあります。産地を知るというのは今では当たり前で地方のJAが経営している直販所の野菜などには生産者の写真入り氏名が出ていたりします。ただ、さすがに肉や魚についてはせいぜいブランド名の表示程度にとどまっています。
ではニューヨークあたりではどうなのか、といえば環境センシティブな人たちが知識派として崇められる傾向があります。(皮肉を言えばニューヨーカーは他の田舎者より三歩先を言っているという自己顕示欲ともいえます。)
聞いた話ではニューヨーカーは「今時、牛肉をガンガン食べるほどいけてない人はいない」というのです。理由は牛を育てる過程においてどれだけ環境負荷があるか知れば知るほどとんでもないことになるというわけです。例えば嘘か本当か知りませんが、牛のゲップが地球温暖化に悪影響を与えているとされます。(牛のゲップにはメタンガスが含まれるが、牛ははんすうして食べるためゲップの量が多いというのがその説)だから牛肉消費はエシカルではないのです。
小泉環境大臣が初めての海外出張でニューヨークを訪れた際、毎日でもステーキという発言がありましたがニューヨークでは環境大臣としてこれ程いけてない人もいないという厳しい目線が注がれていたのであります。
北米では大豆などでできている代替ミートがどこでも普通に売られるようになっていますし、大手チェーンレストランのハンバーガーのメニューにも代替ミートの選択肢を目にすることが増えています。(そしてクオリティは上がっています。)
では日本が構えなくてはいけないのは何か、であります。筆頭は魚だと思います。もちろん、一概に全部ではありませんが、マグロやクジラには厳しい目線が引き続き寄せられるでしょう。また底引き網漁もいちゃもんを付けられやすいと考えられます。バンクーバーのローカル新聞、本日の一面はニシンが減っているから漁獲を減らすべきだ、という記事でした。
日本は海に囲まれていることもありますが、魚の価格、種類は圧倒的に安く我々海外に住む人間からするとうらやましい限りであります。しかし、安いがゆえに無駄にしていないか、というエシカルは今後、議論の対象になるかもしれません。
大食いの番組はいまだに人気があるようです。YouTubeでも大食いに挑戦するYou-tuberの人たちがビデオを数多くアップしているようですがこれもひどくいけていないセンスレスと見られそうです。
バンクーバーで弁当屋をやり大成功した創業者がかつて「低価格を維持するために葉っぱ一枚を大事にした」と講演で述べていたことがあります。今風に言い換えれば「環境保持のために葉っぱ一枚大事に使っている」ということになるのでしょう。
食の倫理は私も意識しなくても考えるようになってきています。ただ、ファンシーな食べ物に「これは体に良いのだろうか」と思ったりするのは案外、こんなもの、高くて食べられないという思いの言い換えなのかもしれませんが。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年11月5日の記事より転載させていただきました。