台湾紙自由電子報は9日夜、同日に行われた高雄日本人学校の創立50周年式典で、生徒らが「君が代」と共に中華民国国歌「三民主義」を一心に斉唱したことを報じた。式場は厳粛な雰囲気に包まれ、実に感動的だったとのことだ。
現在、日本人学校は世界50の国・地域に100校ほどあり、小1から中3までの約2万1千名の生徒が学んでいる。一部の私立校や法人校を除いた大半は現地の日本人会が設置していて、運営にも一部関わっている(文科省:在外教育施設サイト)。
日本人学校は、文部科学大臣から国内と同等の教育課程を有する旨の認定を受けており、中学部卒業者は国内の高等学校入学資格を有する。教育課程は、原則的に国内の学習指導要領に基づき、教科書も国内で使用されているものが用いられている。
台湾には台北と台中と高雄の3校ある。生徒数約800名の台北校が最も大きく、次が約120名の台中校で86名の高雄校は最小だ。筆者が高雄の日本人会に関わった13年当時は120~130名だったので7割程に減った。地下鉄工事が行われていた05年頃には250名程だったそうだ。
日本のパスポートを持つ子供が入学できるので、混血の生徒も少なからずいる。高雄校の場合、2~3割が両親のうちのどちらかが台湾人の生徒だ。高等部がある上海日本人学校を除くと、中学3年を終えた生徒の大半が帰国して日本の高校に入学するようだ。
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では、高雄校創立50周年で生徒らがなぜ中華民国国歌を歌ったのか。その訳を筆者はこう推察する。
高雄校は現在、中正国小という現地校の一棟を借りているが、14年夏までは独立した校舎があった。今から半世紀前1969年の学校創立時、その私有地に校舎を建てて賃貸してくれたのが、前年に市長を退任していた陳啓川氏(1899年3月-1993年5月)だった。
陳啓川氏は台湾五大家族高雄陳家の祖、陳中和の第6子として生まれた。13歳で日本に留学、慶応義塾で初等部から大学まで学び、陸上選手としてインカレでも活躍した。帰台後は陳中和物産に入社、32年からは議員として市政にも参与し、戦後は60年から68年まで高雄市長を二期務めた。
その頃に高雄医科大学や高雄GCの開設にも関わったので、大学やGCの歴代理事長は陳家関係者だ。69年の高雄日本人学校の設立も、啓川氏が陳家の資産管理をする南和興産の所有地に校舎を建て、実費(税や償却費など)に近い賃料での賃借が出来たからこそのことだった。
爾後40余年が過ぎ、校舎の老朽化と生徒数の減少による赤字化で、2011年頃から現地校の校舎を借りて移転することが計画された。そして筆者が関わった13年中には、当時の高口校長のご尽力によって中正国小の一棟をお借りする目処が付いたのだった。
だが一つ課題があった。南和興産との賃貸借契約では、原状回復したうえで土地建物を返還することとなっていたのだ。つまり、40余年の間に学校の資産として増えたプールその他の構築物や内装などを取り払わねばならない。が、その費用を賄う資力が学校にない。
窮した日本人会学校運営委員会は、啓川氏のご子息の南和興産董事長陳田柏氏にご相談に上がった。すると案ずるより産むが易し、田柏氏は「必要なものだけお持ち頂いて、要らないものは置いていって結構ですよ」と、原状回復の「げの字」も口になされなかったのだ。
こうして14年9月、高雄日本人学校は中正国小の一棟に移転し、同じ敷地で台湾と日本の生徒や教師が交流するという、世界でも珍しい学校として運営されている。まさに台湾の善意によって高雄日本人学校の今日があることが、創立記念日に「三民主義」を斉唱した由縁と思う。
日本人学校に纏わる日台の絆は高雄校に限らない。李登輝氏が総統だった1999年9月21日に起きた台湾大地震では、震源地の南投県と隣接する台中県を中心に約2,400人が犠牲となる大被害が出た。台中日本人学校の校舎も授業を続けられないほど大きく損壊した。
10月7日に台中日本人学校を視察した李登輝総統は、当時の江原校長が土地探しに悩んでいることを知り、翌朝に候補地を提示、現在の秀山里に新しい校舎を再建することができた。これを契機に、その後も地震などがあるたび、両国民が善意の寄付をし合っていることは周知の通りだ。(※動画は2019年9月に台中日本人学校で開かれた「20周年感恩会」で、生徒から李登輝元総統へ感謝のメッセージが贈呈された時の様子、日本台灣交流協會FBより:編集部)
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これで気持ち良く本稿を終わりたいが、そうならずに残念だ。それは10月10日の台湾双十節に安倍総理が蔡英文総統に祝辞を寄せた話だ。台湾総督府は謝意を示し、これを公表した。ところが、例によって中国がこれに噛み付いた。日本は台湾を国として認めるのか、という訳だ。
新華社の記者が会見で質問した際、岡田内閣官房副長官が「その事実はない、日本の立場は72年の日中共同声明と変わらない」と否定したのだ。が、そうなると台湾総督府が虚偽を公表したことになる。案の定、台湾の一部親中派は総督府を嘘つき呼ばわりする。
結局、安倍総理の事務所が衆議院議員安倍晋三として出したとし、中国も皮肉をいいつつも矛を収めた。実に後味の悪い出来事ではないか。中国にはこの種のことを専門に監視する要員を多数置いているのだろう。数億台あるらしい監視カメラといい、異様な国家としかいいようがない。
まさか高雄日本人学校の一件まで中国がとやかく言うことはあるまい。が、こんなことを気にしないで済む日が一日も早く来ることを祈る。
高橋 克己 在野の近現代史研究家
メーカー在職中は海外展開やM&Aなどを担当。台湾勤務中に日本統治時代の遺骨を納めた慰霊塔や日本人学校の移転問題に関わったのを機にライフワークとして東アジア近現代史を研究している。