チェコに駐在する北朝鮮の金平一大使と在オーストリアの金光燮(キム・グァンソプ)大使が今月一杯で職務を終え、北朝鮮に戻るという情報が流れている。金光燮大使は1993年3月18日にオーストリアの北朝鮮大使として赴任して既に26年が過ぎた。同大使は現在、北滞在中で今月中に一旦ウィーンに戻ってから平壌に帰るという。金平一大使も同じように今月一杯で任務を終えて故郷に戻る予定。それが事実ならば、欧州に居住してきた金ファミリー出身の外交官がいなくなるわけだ(故金正日総書記の故成蕙琳夫人親戚関係者は依然欧州にいる)。
▼欧州から帰国命令を受けた2人の北朝鮮大使
両金大使の帰国は「突然の帰国」という表現は当てはまらないだろう。金平一大使は旧ユーゴスラビアを皮切りに、ハンガリー、ブルガリア、フィンランド、ポーランド、そしてチェコと欧州各地を転々と駐在してきた。金光燮大使はチェコ大使を5年間務めた後、1993年3月以来、ウィーンの北大使として今日に至る。両大使とも長い間、欧州に駐在してきた北外交官だ。「やっと帰国するのか」というのが正直な感想かもしれない。
金平一大使は故金日成主席と金聖愛夫人との間に生まれた長男だ。一方、金光燮大使の場合、夫人の金敬淑夫人が金平一大使の妹だ。両金大使は金正恩朝鮮労働党委員長の叔父に当たるが、異母出身ということで、平壌の中央政界から久しく外され、海外に送られて干されてきた経緯がある。
ところで、なぜここにきて両大使は平壌に戻るのかについて、さまざまな憶測が流れている。①金正恩氏は2人の叔父を帰国後処刑にする「粛正説」、②金正恩氏は海外居住のファミリーを呼び集め、金王朝の結束を強化する「金ファミリー結束説」などがその代表的だ。
①の場合、金正恩氏は2013年12月、中国の支持を受けて政権転覆を図っていたとして叔父・張成沢元国防副委員長を処刑するなど、強権政治は親族関係者にまで及んでいる。その数年後(2017年2月)、異母兄にあたる金正男氏(故金正日総書記と故成蕙琳夫人の間の長男)をマレーシアのクアラルンプール国際空港内で劇薬の神経剤を使って暗殺している。だから、両金大使が平壌に戻れば、粛正される危険性は完全には排除できないわけだ。
②の場合、両金大使は金正恩氏とは母方の血統が違うが、金正恩氏が権力基盤を強化するためには親族関係者の連帯が不可欠という判断が働いているという。独裁者が家族関係者を自身の側近で固める時、その独裁者の権力基盤が揺れている証拠だが、金正恩氏の権力基盤が揺れているとの情報は今のところない。そのうえ、故金日成主席と金聖愛夫人との間の息子と娘の家族を呼び寄せたとしても、金正恩氏の権力基盤が安定するという保証はない。②のシナリオは少々説得力が弱い。
①のシナリオをもう少し考えたい。金正恩氏にとって叔父の両大使は潜在的な政治ライバルだ。平壌に呼び戻して射殺すれば一つの懸念はなくなる。問題は金正恩氏は両大使を粛正する考えがあるかだ。両大使は6月末から平壌に戻っているから、いつでも射殺できたが、金正恩氏は両大使を粛正せずに生かしてきた。この点、粛正説は少々揺れる。
金正恩氏には兄と妹がいる。兄・金正哲氏(37)は音楽好きでエリック・クランプトンの大ファン、政治には無関心。妹の金与正さん(30)は金正恩氏を補佐しているが、自身がヒロポン中毒といわれる。金正恩氏を取り巻く親族関係者の事情はいずれも深刻だ。
①と②以外では「家庭の事情説」が囁かれている。金光燮大使の場合、今年に入り、母国に戻ることを希望していた。なぜならば、実母が病床にあるためで、その傍で看病したいという願いだ。金大使の奥さんは平壌にいるから、「そろそろウィーンから引き上げたい」という願いが飛び出したとしても当然だ。
駐チェコの金平一大使(故金日成主席と故金聖愛夫人の間の息子)の場合、娘さんが人民軍幹部の息子と結婚し、平壌に住んでいる。仕事らしい仕事もなく、チェコに駐在しているより、娘さんが家庭を持っていう故郷に戻りたいと金平一大使が願っても不思議ではない。すなわち、両大使には平壌に戻る家庭事情があるというわけだ。
最後に、海外反体制派の台頭を阻止する「予防説」だ。海外に赴任する北外交官が揺れてきているのだ。例えば、太永浩元駐英北朝鮮公使が2016年にロンドンから家族と共に韓国に亡命し、駐イタリア北朝鮮大使館のチョ・ソンギル大使代理は昨年11月に行方不明となったばかりだ。
欧州駐在の北外交官の脱北が続く一方、スペインのマドリードの北朝鮮大使館に2月22日、何者かが侵入し、暗号化された電文解読に使用するパソコンを盗んだ可能性があるなど、海外の反北グループの動きが活発化してきた(「金正恩氏35歳誕生日への贈物?」2019年1月8日参考)。
海外反北体制派は秘かにチェコの金大使とウィーンの金光燮大使をオルグ対象としてきた。両大使を反金正恩グループに加えれば強力な力となるからだ。米国は両大使に接触していたという情報も聞く。そこで金正恩氏は米国の工作員の手が届かないうちに両大使を帰国させる方が無難という判断が働いた可能性がある。
以上、①処刑説、②金ファミリーの「結束説」、③両金大使の「家庭事情説」、そして④海外反体制派への「予防説」の4通りが考えられるわけだ。当方は目下、④が最も現実的ではないかと受け取っている。
ちなみに、欧州で北朝鮮の動向をフォローしてきた当方にとって、両金大使のいない欧州はやはり寂しい。暖房の入っていない北大使館の寒い冬の風景しか浮かんでこなくなる。
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「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年11月13日の記事に一部加筆。