ここ最近の韓国の報道を見ていると、毎日のように日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)に関わる記事が掲載されている。一方、わが国においてこの報道の取り扱いは、日韓問題を取り上げた記事などで少し見かける程度である。
つまり、北朝鮮が昨年の米朝首脳会談以来、長距離弾道ミサイル(ICBM)や核実験を抑制している中において、この(日米韓の軍事同盟に深く関わる)GSOMIAの問題についてわが国では国民の関心が次第に薄れてきている一方で、韓国の多くの国民は、文在寅大統領がこのGSOMIAの破棄を宣言したことは失敗であったと感じており、本人もそれを意識して「実際の破棄期限を目前に焦りを感じている」という実情があるということなのであろう。
というのも、文大統領が思っていた以上に米国の反発が強く、11月に入ってからも6日にスティルウェル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)が韓国を訪れ、金鉉宗(キム・ヒョンジョン)国家安保室第2次長と面談し、GSOMIAの問題などについて話し合ったほか、同日にはエイブラムス米韓連合司令官(兼在韓米軍司令官)もこの金次長と同問題について予定の時間を超えて70分に及ぶ話し合いをしたとのことである。
また14日からソウルで開かれる米韓定例安保会議(SCM)に出席するため、エスパー米国防長官や制服組トップのミリー米統合参謀本部議長も訪韓し、同問題について鄭景斗(チョン・ギョンドゥ)国防部長官らと話し合う予定であるとされている。特に、ミリー米統参議長は、これに先立つ12日に日本を訪問し、安倍首相と会談してこの問題についても話し合い、会談後の記者会見で「(GSOMIA破棄の)期限が切れるまでにこの問題を解決したい」とはっきり述べている。
正直なところ、文在寅大統領は現在このGSOMIA破棄について撤回するきっかけを模索しているのであろう。すなわち、実際の破棄期限を間近に控えて漸く本件の重大性に気付いた文大統領は、自らに対する国民の反発や不信感を極力抑えた形でこの破棄をいったん白紙の状態に戻したいと考えているに違いない。
なぜならば、GSOMIAの重要性については8月7日の拙稿「韓国、GSOMIA破棄なら文大統領は失脚するだろう」で述べたように、実質的にも象徴的な意味でも、現在の日米韓の軍事的連携(特にその根幹を支える情報活動)には欠かせないものとなっており、米国がこの破棄を黙認するはずはないからである。
23日午前0時の破棄期限を迎えてこのまま破棄が実行されることになれば、韓国政府に対して米国は様々な対抗措置を加えていくことになるだろう。恐らく、米高官らはすでにそのことを韓国政府に伝えて文大統領に圧力を加えているのではないか。
例えば、朝鮮日報(2019年9月18日付)で報道された(文大統領の側近であった)曹国(チョ・グク)元法務部長官の親族(義兄)の所属する海運会社が関与したとされる北朝鮮の石炭密輸(出)についても、韓国政府や情報機関がこれらに関与したと指摘されている疑惑などに関して、米国政府が何らかの証拠を握っている可能性は十分にある。この他にも、北朝鮮の制裁逃れに韓国政府が関与している多くの証拠を米国は掴んでいるはずだ。
しかし、それよりもわが国が危惧すべきなのは、米国は「GSOMIAが破棄されることになれば、このまま米朝協議を進展させることはできないだろう」と伝えるのではないかということである。というのも、韓国が結果的に日米韓の軍事的結束を弱め中国や北朝鮮を利するような行動に出るならば、「再び朝鮮半島に緊張状態をもたらすことによって韓国を日米の側に引き戻す必要がある」とトランプ大統領やそのブレーンが判断する可能性があるからである。
昨年は中止した米韓合同軍事演習「ヴィジラント・エース(Vigilant Ace)」を12月に再び実施することになったのも、この兆候と捉えられるかも知れない。
米国は、北朝鮮との交渉を急いでいるわけでもなく、北朝鮮が再び挑発に出れば軍事的にも経済的にも再び圧力を加える準備はできているということなのであろう。しかし、再び北朝鮮がICBMの発射や核実験に踏み切れば、トランプ大統領は膠着状態にあるイランへの見せしめのためにも、自身の大統領選挙に関わる国民へのアピールのためにも、より強硬な対応を余儀なくされるであろうし、緊張もそれ相応に高まることが予想される。わが国もこれに対する心構えをしておく必要があろう。
筆者は、個人的に文大統領は「GSOMIAの破棄を一旦(1年間?)保留して日本側に恩を売り、その対応を見る」という形態をとるのではないかと考えている。つまり、11月4日に「安倍首相と友好的に会談した」と一方的に韓国側が写真付きで報道したように、この伏線に沿って「こちらは韓日首脳間による話し合いで諸問題を解決しようとしている。
今回のGSOMIA破棄の保留は日本側にこれを明確に伝えるための措置であり、安倍首相はこれに応じるべきだ」というような流れである。いかがであろうか。残りはあと10日を切った。その動向を注視したい。
鈴木 衛士(すずき えいじ)
1960年京都府京都市生まれ。83年に大学を卒業後、陸上自衛隊に2等陸士として入隊する。2年後に離隊するも85年に幹部候補生として航空自衛隊に再入隊。3等空尉に任官後は約30年にわたり情報幹部として航空自衛隊の各部隊や防衛省航空幕僚監部、防衛省情報本部などで勤務。防衛のみならず大規模災害や国際平和協力活動等に関わる情報の収集や分析にあたる。北朝鮮の弾道ミサイル発射事案や東日本大震災、自衛隊のイラク派遣など数々の重大事案において第一線で活躍。2015年に空将補で退官。著書に『北朝鮮は「悪」じゃない』(幻冬舎ルネッサンス)。