毎日新聞記者は記憶喪失?戦意高揚の旗を振っていたことがなかったかのよう…

山田 肇

毎日新聞サイトを開いたら『74年目の東京大空襲(4) 戦争責任は当時の国民にもある?』という記事があった。有料記事だが、気になって中まで読んで、気分が悪くなった。

戦時中の日本軍兵士(1940年、Wikipediaより:編集部)

栗原記者は自らを「常夏記者」と称し、戦争にまつわる記事を多く執筆している。東京大空襲の被害者が補償されていない問題をラジオで取り上げるというので出演したそうだ。そこで、戦争に進んだ「政治家を選んだ国民にも責任がある」のではないかとの質問をリスナーから受けた。国民が選べない人物が国政を左右し、そういう国家体制に反対する言論の自由はなかった当時の「国民に、戦争責任を押しつけるのはあまりにも酷に過ぎる」と回答したというのが記事の内容である。

困ったことに、戦意高揚を煽ってきた新聞にも責任があると栗原記者は思っていないようだ。国民に責任を押し付けるのは確かに酷だが、政治と組んで国民を戦争に誘導した新聞には間違いなく責任がある。

栗原記者に記憶を戻してもらうために、毎日新聞に関係するいくつかのエピソードをいくつか紹介する。

「勝ってくるぞと勇ましく」で始まる『露営の歌』は、毎日新聞が公募して入選した『進軍の歌』のカップリング曲である。

1936年1月には『帝国堂々軍縮会議を脱退』との記事を載せ、それに合わせて『経済国防完璧 軍費激増の憂いなし』と解説を書いている。

毎日新聞記事の一部

1942年2月には『豪州本土へ覆滅の鉄槌』と、海軍がオーストラリア・ダーウィンを爆撃したことを伝えた。「一体どうなる」と、一報を聞いたイギリス・ロンドン市民も衝撃を受けたとの記事が並んでいる。

毎日新聞の記事データベースにあたれば、幾らでもこのような記事が出てくる。言論の自由がない時代で、政府に言われてやむを得ずこのような記事ばかり出していたと言い逃れするのはむずかしい。

『74年目の東京大空襲』は連載記事で、栗原記者は次のように書いている。

私が「常夏記者」として目覚めたきっかけの一つが、空襲被害者たちの長い長い闘いと、彼ら、彼女らをまるでいなかったかのようにあしらってきた戦後日本社会の歴史を知ったことだった。

戦意高揚の旗を振っていたことを、まるでなかったかのようにあしらってきた新聞の歴史にも気づいてほしいものだ。

山田 肇