その内容は韓国では論議を呼んだが、日本人が読むとあまり違和感はない。日本と韓国の歴史認識が大きくわかれる植民地時代については、本書の見方は日本寄りといってもいいが、李承晩や朴正熙など軍事政権の評価についてはほとんど何も語っていない。
韓国の教科書に書かれている「土地の40%が朝鮮総督府の所有地として収奪された」という話には実証的な根拠がない。総督府は朝鮮半島全土の測量事業を行ったが、それは朝鮮人の土地を収奪するためではなく、日本の領土として永久に支配し、朝鮮人を日本に同化させるためだった。そのため測量は精密なもので、そのとき作られた土地台帳は、今も韓国で使われている。
朝鮮の経済を日本に統合するため、朝鮮銀行券と日銀券の為替レートは1対1に固定され、関税はすべて廃止された。日本の法令も朝鮮半島に適用されたが、参政権と徴兵制はなかった。経済的には統合されたが、政治的には「二等国民」としての差別が残った。
しかし貧しかった朝鮮人は、総督府の支配を歓迎した。それを示すのが1938年から朝鮮半島で募集された「陸軍特別志願兵」である。6年間で1万6000人の募集に対して80万人の朝鮮人が応募し、競争率は50倍にのぼった。
彼らがそれほど熱狂的に皇軍兵士になろうとしたのは、朝鮮の伝統的な身分差別が激しかったからだ。特に南朝鮮の農村では「両班」と「常民」の差別が残り、常民の子は貧困と蔑視の中で生きていかなければならなかった。
それに対して日本軍では朝鮮兵の差別はなく、天皇陛下の前では全員が同じという「軍隊式平等性」が貫かれた。朝鮮兵は日本兵より勇敢に戦い、危険な戦場で「天皇陛下万歳」と叫んで死んで行った。
戦後、日本軍は解散したが、韓国軍は残った。皇軍兵士として戦った朝鮮人は韓国軍の将校となり、「反共の戦士」を指揮した。その代表が、満州国軍の将校だった朴正煕である。本書の第8章(鄭安基)は、元朝鮮人兵士の国家意識についてこう書く。
彼らは実体性が欠如した民族に反逆し、日本の天皇のために忠誠を誓ったからこそ、また別の祖国・大韓民国に尽忠報国できたのでした。彼らは、二つの祖国において忠誠と反逆の等価性を身をもって実践し証明した歴史的存在でした。(pp.102~3。強調は引用者)
朝鮮人には民族としての実体はなく、身分や地域で分断された「種族」があるだけだった。そこでは個人は種族に埋没しており、その根底には朝鮮の伝統的なシャーマニズムがあった、と編者(李栄薫)はいう。本書が「種族主義」と呼ぶのも、それが近代的な民族主義とは似て非なるものだからである。
日本の植民地支配は彼らの種族を越えた連帯を一時的には可能にしたが、それは偽のアイデンティティだった。戦後の反共イデオロギーも、朝鮮民族を一体化できなかった。そういう韓国人を団結させたのは、皮肉なことに「反日」の意識だった。
しかしそれも慰安婦問題や徴用工問題などの「嘘をつく政治」による偽のアイデンティティである。それに依拠して日本との対立をあおり、自由経済を放棄しようとする文在寅政権では韓国には亡国の道しかない、という編者の嘆きは深い。