先輩記者が昔、「後日説明しなければ読者が理解できないようなコラムや記事を書くな」と言っていた。今回はその先輩の忠告を無視して、あえて説明を試みた。この欄で15日、「GSOMIA(日韓軍事情報包括保護協定)破棄撤回へのシナリオ」を書いたが、批判を受けた。多くのコメントの指摘はある意味で正しいと受け取っている。
それでは「なぜ書いたのか」と問われて、「韓国の文在寅大統領がGSOMIA破棄を撤回しないだろうという確信があるからだ」といえば、無責任のように受け取られるかもしれないが、実際、その通りだ。簡単に言えば、破棄撤回をせず、条約が失効した時の日本側の予防線という気持ちがあったからだ。すなわち、日本側も努力したという“アリバイ工作”のようなものだ。
失効した日、韓国側は必ずいうだろう。「我が国がGSOMIA破棄を撤回しなかった理由は日本側にある」と。だから、日本側は何らかの譲歩の姿勢を見せることで、その責任転嫁を根拠なきものとする狙いがあった。繰返すが、当方は“現時点”では「韓国は破棄を撤回しない」と考えている1人だ。以下、少し説明する。
文政権は北朝鮮の傀儡政権となっている。その文政権にとってGSOMIA破棄は絶好のチャンスだ。ただし、文政権も何らかの理由がなければ日米韓の軍事協定を一方的に破棄できないから、日本政府が韓国を「ホワイト国(グループA)から排除した」ことを受け、「我が国を信頼しない国と如何なる軍事協定も締結できない」と強調し、即GSOMIAの破棄を表明した。
朝鮮半島の安保問題に対し、韓国側は日本側のホワイト国除外への対応としてGSOMIA破棄を持ち出したわけだ。そこで日本側は、「旧日本軍の軍旗だった旭日旗の掲揚を自制するように努力する」といえば、韓国民は納得するだろうが、文政権は「いやなことを持ち出した」と感じるだろう。
日本側は軍事問題に対し旭日旗の掲揚問題を持ち出して応戦すればいいわけだ。軍事問題に対し、同じ軍事関連テーマで対応することこそ、フェアな条件闘争だからだ。韓国側のような愚を繰り返さないという意味でも賢明だろう(当方が旭日旗を交渉道具に利用しているとか、旭日旗を過小評価しているとは受け取らないでほしい)。
文政権は日本側と条件闘争に応じることは本意ではないだろう。日本側が譲歩の姿勢を見せれば、次はGSOMIA破棄宣言を求められてしまう。「破棄を撤回できなかった責任は日本にある」と声を大にして弁明できなくなるからだ。
特に、旭日旗の掲揚は韓国民の感情にネガティブな思いを想起させるかもしれないから、その掲揚自制は日本側の大きな譲歩と受け止められるだろうが、文政権はそれとGSOMIA破棄撤回を引き換えはしないだろう。ここでも韓国民の感情と文政権はかけ離れていることが分かる。
韓国側が破棄撤回に応じない場合、日本側は今度は声を大にして「文政権は北の傀儡政権に陥った」と指摘できる。旭日旗掲揚の自制は韓国側が北の傀儡政権かどうかを知る上で格好のリトマス試験紙となる。文政権は日本側の条件闘争の狙いが分かるから、日本側の譲歩案をあえて無視するかもしれない。
もうひとつ、全ての戦いは100%勝利するより、90%の勝利に留めておく方が得策と考えている。苦境に陥っている隣国・韓国をこの機会といわんばかりに追い込むことは賢明ではない。相手に逃げ道を与える方が、その後の関係にはプラスだからだ。
韓国の苦境は自業自得だ。その韓国との戦いで100%の勝利を得ることは適切ではない。ウィンウィンは無理としても、敗戦側が「日本側が譲歩したから」といってGSOMIA破棄撤回を決めたと表明できる余地を与える方が数段クレバーではないか。「ハイ、負けました」とは絶対に口に出せない国柄だからだ。
コラムの中で書いたが「日本側の譲歩を文章化しない」から、日本側もイザとなればその内容を破棄できる道がある。「イザとなれば」というと、韓国側が再び合意内容を破棄するような行動に出れば、という意味だ。
以上、当方が考えていた内容を簡単にまとめた。韓国はGSOMIA破棄を撤回すべきだ。文在寅大統領は歴史に汚点を残すようなことを回避すべきだ。ただ、今となっては祈るだけだ。
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「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年11月17日の記事に一部加筆。