ニッポンの陽はまた昇るのか?

私は長年経済ニュースなどには丹念に目を通していますが、この数年、そして特に最近とみに思うのはニュースがない、ということであります。もちろん、新聞には十分な誌面とそれを埋めるネタは掲載されていますが、日本企業が躍るようなそんなニュースが極めて少なくなっているのです。

(写真AC:編集部)

(写真AC:編集部)

どちらかというと不祥事や業績悪化などの記事が目立ちます。最近ではメガバンクの利益が減っていること、地銀が立ち行かなくなくなりノジマやSBIといった一般企業の出資を受ける事態になっていること、自動車販売はトヨタ以外総崩れだったこと、コンビニ24時間営業の常識が崩れること、下がり続けるデパート売り上げの行方が見えないこと、大型新薬がでない製薬業界…と暗くなる話はいくらでもあれど、陽が昇る話がなかなか見つからないのが現状であります。

こうなるとネットでニュースを読むことは朝から気持ちを盛り下げるようで実に心地よくないのであります。もちろん、日本の独壇場といわれる分野もありますが、比較的地味な分野が多く、主役ではない点において世界で日本の存在感が薄れてきている感じがするのです。

北米で生活していると日本の製品を見ることはめっきり減ってきています。自動車は見ますが、それ以外に何があるのでしょうか?スマホの中の多くの部品が日本製だと知っていますが私にはどこかの外国で作られたiPhoneにしか見えません。家電量販店に行ってもノートパソコンで日本製は見かけなくなりました。

先日、ある日本の役人と話していたところ、「海外の駐在員は日本の本社しか見ていない」「与えられた枠の中の仕事だけをやる」と役人が呆れるほど小さくまとまった仕事しかしないようなのです。また駐在員が忙しくなるのは日本が朝になってから、つまり、こちらの夜で、時々集まりに遅れてくる駐在員さんが「いやー、すみません、日本とのやり取りで…」というのは日常茶飯事なのであります。基準が日本なんですね。

日経の看板コメンテーターの記事に「GoogleとIBMの量子競争 日本突き放す知のコラボ」というのがあります。その記事の一節に「量子コンピューター研究の歩みを振り返れば、目を引く日本発の成果があったが、ひょっとするとチャンスを逃したかもしれない。東工大の西森氏らが土台となる理論『量子アニーリング』を提唱したのは1998年。同じころNECは超電導による量子ビットを世界で初めて実現した。先頭を走る専門家同士がそばにいた。もしもそこに対話が生まれ、知識が交じり合えば、世界をリードできるような研究の進展がみられた可能性があるが、双方が連絡をとり合うことはなかった」とあります。

企業や研究者がブラックボックス化した研究を行ってきたという意味でしょう。その間、世界ではオープンソースという発想が普及している中で日本では独り占めという発想がなかったとは言い切れません。

かつては一匹狼のちょっと変わった人がサプライズの成果を上げることがしばしばありました。最近、そのようなユニークな人は排除されるか、十分な研究などができる環境の場が提供されないかのどちらかなのだろうと思います。それだけ企業や大学が普通になり、コンプライアンスを重視しすぎるあまり、規格外の天才が発掘されないのかもしれません。

また、今の時代、高度化する産業レベルにおいて一人や一企業で対応できるレベルではありません。異種混合がキーワードのはずですが、大手企業の社員さんほど異種に興味を持ちません。名刺交換しても「俺は上場会社の〇〇だ」という威光が見えるんですね。その会社の話に入り込むことすらできないのです。(いや、本音を言えばどれぐらいの知識をお持ちかはわかりませんが、上場会社という囲い込みに非常に高いプライドを持っていらっしゃることは事実です。私は上場会社に20年在籍しましたが、準大手のゼネコンでカナダ新参者だったので必死になって学ばせていただくという姿勢で下手に出ていました。また講演などを通じて意見を聴くなどの自分なりのオープンソース化をしてきたと思います。)

ニッポンの陽はまた昇るのか、と言われれば私には昇らないように見えてきました。真綿で首を絞めるという表現がずばり当てはまるのが今の日本です。もしも陽が再度上がるようにするには地殻変動が起きて日本が目覚めなければなりません。わずかな人だけでもそれに気がつき、面白いことに驀進してくれることを祈ります。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年11月18日の記事より転載させていただきました。