考古学者は「神」を発見できるか

長谷川 良

最近は目を余り使わないようにするためテレビよりラジオのスイッチを入れ、ニュースや音楽を聴く機会が増えた。先日、午後1時のニュース番組後、最近の考古学の発展についてDNA鑑定の現状などを専門家に聞く番組だった。

▲トリノの聖骸布のX線写真

▲トリノの聖骸布のX線写真

昔から考古学には強い関心があった。頭骨から生前の顔を復元する考古学者の話をワクワクして読んだものだ。当コラム欄でも数回、骨が語り出す時、などのコラムを書いた。迷宮入りしたと思われていた殺人事件を考古学者が謎解きする米TV犯罪捜査番組「ボーンズ、骨は語る」を最後の12シーズンまで見てしまった。法人類学者テンペランス・ブレナン博士が活躍する。

聖書の世界を考古学的に考察する学者がいる。彼らは様々な新しい事実を実証してきた。例えば、イスラエルの統一王国時代のダビデの存在は考古学者に実証されたが、旧約聖書が記述するような巨大な王国ではなく、地方の小さな部族だったことも分かった。

興味深い事実は、エジプトから60万人のイスラエル人を率いて神の約束の地、カナンを目指した指導者モーセの実存は今なお実証されていないことだ。60万人のイスラエル人がエジプトからカナンへ移動する場合、考古学的にも何らかの痕跡が残るものだが、これまで見つかっていないのだ。

欧州で2015年秋、100万人以上の難民・移民が中東・北アフリカから彼らの“約束の地”欧州を目指して大移動したが、彼らの足跡は移動ルートのバルカンには残されている。移動途中、亡くなった難民・移民もいただろう。彼らの遺骨が埋葬された場合、何世紀後にその痕跡を辿れば、「西暦2015年ごろ、中東のシリアから大量の人々が欧州を目指して移動していた」という史実を解明するだろう。しかし、「出エジプト記」のイスラエルの大移動の痕跡は考古学者の努力にもかかわらず発見されていないのだ。

イエスの遺体を包んだ「聖骸布」がイタリア北部のトリノ市で一般公開されて大きな話題を呼んだ。1988年に実施された放射性炭素年代測定では、「トリノの聖骸布」の製造時期は1260年から1390年の間という結果が出た。すなわち、イエスの遺体を包んだ布ではなく、中世時代の布というわけだ。

その一方、聖骸布に映る人物を詳細に調査した学者は「手、首、足には貫通した跡があった」と説明し、「遺体は180cmの男性だった」と指摘、「トリノの聖骸布は本物」と主張している。DNA鑑定やコンピューター断層撮影装置(CT)を使用して徹底的に調査する必要があるだろう。前法王べネディクト16世はトリノの展示会にまで足を運び、その前で祈っている。

バチカン職員の家族の少女オルランディが1983年、行方不明となって35年以上経過するが、少女の遺骨探し(通称オルランディ行方不明事件)は今なお続いている。ひょっとしたら彼女は生きているのではないか、といった推測すらイタリアのメディアでは流れている。バチカン大使館別館で人骨が発見されたため、早速DNA鑑定が実施されたばかりだ(「バチカン大使館の人骨は何を語るか」2018年11月2日参考)。

ところで、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ〈1844~1900年)は「神は死んだ」と書いたが、それでは神の遺体はどこにあるのか、といった突飛な考古学的な関心が湧いてくる(ニーチェの言葉はあくまで文学的、象徴的な表現に過ぎない)。

唯物論者は「神は死んだ」と口癖に言うが、それでは神は殺されたのか、自身の創造の業に絶望した末、自ら幕を閉じたのか。殺害されたとすれば、誰が犯人か。将来、考古学者が神の遺骨を発見し、そのDNA鑑定を実施すれば、神の年齢から、性、死因などを解明できるだろうか。

神を信じてきた多くの信者は戦争、紛争、疫病、自然災害などで亡くなった家族や友人のことを思い出し、「神はその時、どこにいたのか」、「なぜ救いの手を差し伸べなかったのか」といった神の不在に悩んできた。「貧者の天使」と呼ばれた修道女マザー・テレサですら親戚宛ての書簡の中で神の不在を嘆いている。

その悩みに様々な答えがこれまで発表されてきた。①神は創造後、被造世界を人間に委ねた、②神のファミリーの内紛説、③神の業を妨害する悪魔の関与説など、多くの憶測があるが、残念ながら誰でもが納得できる決定打はまだ飛び出していない。

600万人以上のユダヤ人がナチス・ドイツ軍の蛮行の犠牲となった後、「なぜ神は多数のユダヤ人が殺害されるのを黙認したのか」「神はどこにいたのか」といったテーマが1960年から80年代にかけ神学界で話題となった。神学界ではそれを「アウシュヴィッツ以降の神学」と呼んでいる。アウシュヴィッツ後、生存したユダヤ人には大きな後遺症が残ったといわれる(「アウシュヴィッツ以降の『神』」2016年7月20日参考)。

考古学者は、神の遺体の発見と共に、“神の選民”ユダヤ人がなぜ迫害され続けてきたのか、という謎を解明できるだろうか。モーセに強い関心があったフロイトは生涯、この問題を考えていた。

欧州では今、反ユダヤ主義が再び猛威を振るい出したが、反ユダヤ主義(独Antisemitismus)の反対、フィロセミティズム(独Philosemitismus)と呼ばれる現象がある。ユダヤ人を尊敬し、愛し、その民族の優秀性を認める立場だ。ユダヤ人にとって大歓迎というべきだが、ユダヤ人は反ユダヤ主義と共に、フィロセミティズムを警戒し、恐れている。両者はコインの裏表ということをユダヤ人は歴史を通じて知っているからだ。ユダヤ人の知恵を感じる。

ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年11月20日の記事に一部加筆。