17日の日曜日、がん撲滅サミットが無事開催された。多くの方に来ていただき、盛会に終わった。厚生労働省の鈴木医務技監が「リキッドバイオプシーで再発を超早期に見つけて、その時点で治療を始めれば、治癒率の向上が期待できる」と語った一言を聞いて、時代が動きつつあると感じた。ぜひ、PMDAの方にはこの一言をかみしめてほしいと思う。
公開セカンドオピニオンを聞きながら、大規模なデータの収集とその活用が必要だと改めて思った。患者さんや家族から、どうしたらいいのか迷っているとの質問があったが、治療を受けてみないとわからないのが今の実態だ。
目の前の患者さんに、どれがベストなのかわかっていれば、当然ながら医師はその治療法を薦めるのが道義的な責任だ。できないのは、目の前に患者さん個人にとって、どれがいいのかを説明する「エビデンス」がないからだ。
繰り返し述べているが、1000人と1000人を比較して、ましな治療法を標準療法と定めるような方法では、個々の患者さんにとっては30%の確率で効果が期待できる治療法Aに賭けるのか、35%の確率で効果が期待できる治療法Bに賭けるのかの違いにしか過ぎないのだ。
再発後であれば、「治癒を期待するな。延命のための治療だ」と告げられた上での選択となる。副作用の程度もわからない、それを標準的治療だ」と誇らしげにする医療でいいのかと疑問を呈し続けている。多くの医師が、人間を一つの集団としか見ない「エビデンス」を絶対正義と信じ込んでいるのだ。
そして、今、がんの全ゲノム解析研究が始まろうとしている。私は全エキソン解析にして、患者数を増やした方が有用だと主張し続けてきたが、いつの間にか、この声はかき消され、全ゲノム解析の流れができてしまった。
「ゲノム」研究の歴史も知らない世代が、「ゲノム」を分かったような顔をして議論したようだが、研究者の見識の劣化が激しい。「がん遺伝子パネル検査」を保険適用しても、見つかった薬には保険が使えないなどは、漫画の世界としかいいようがない。がん患者の顔を浮かべずに、自分たちのささやかな誇りを満たすためだけに施策を立案しているから、このような愚策になってしまうのだ。
全ゲノム解析も、患者さんに還元する目標をどこまでしっかりと持っているのか不安でいっぱいだ。大きながん拠点病院は、標準療法を終えると患者さんの面倒を見なくなる。したがって、診断から患者さんが死に至るまでのデータをすべて保有しているわけではない。標準療法後のデータが、予後を改善し、標準療法後の患者さんや家族の人生の質を計測するためには不可欠だ。
治療法も急速に変わってきている。保存していたがん試料とそれに紐づけされた患者さんの情報が、5年後に役に立つのかどうかも疑問でいっぱいだ。かつて、白血病で遺伝子発現情報をもとに、事前効果予測を試みる研究をしていたが、結果が出た時には治療のプロトコールが変わっていたことがあった。
それぞれの患者さんの個性を知るには、全エキソン解析と発現情報解析が優れていると信じているが、全貌を理解せぬ「にわかゲノム研究者」が議論をリードしてどうなるのか心配だ?
余談になるが、Science誌に「European data law is impending studies on diabetes and Alzheimer’s, researchers warn」というタイトルのレポートが掲載されていた。米国NIH長官のフランシス・コリンズ所長が「ヨーロッパのプライバシー保護の規制はやりすぎだ」とコメントしていたが、病気の治療効果を高めるには多くの患者さんの協力によるデータベースの構築が不可欠だ。
情報を集めないことがプライバシーを守るにはベストだが、医療の質を高めるためには情報の収集が不可欠だ。情報収集の壁を乗り越えた国が医療分野で優位に立てることが確実だ。しかし、日本のゲノム解析の議論を聞いていると、これではだめでしょう日本のがん医療は!と考え込んでしまう。
下の絵は、がん撲滅サミット時に、患者さんからいただいた水彩画である。真ん中の白衣を着た人物が私だ(実物よりも脚が長くカッコいいが?)。みんなで手を携えて、がんを克服しようという願いが込められている。心に寄り添ったがん医療を目指すのが、政治と役所の仕事ではないのか??
編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2019年11月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。