雅子皇后と黒田清子氏の不和と和解:女性自身記事

八幡 和郎

「女性自身」が「雅子さま 清子さんと『和解の夜』相次ぐ不和報道乗り越えて」という報道をしている。

Wikipediaより:編集部

11月22、23日に両陛下は、即位礼を終えた報告のために、伊勢神宮「親謁の儀」に臨まれたが、その際に、食事をともにされたのは、確執が噂されていた雅子皇后と黒田清子氏の和解へ向けての第一歩だと報じている。

しかし、この時期にこういう報道がされるのは、むしろ、確執について知ってもらいたいという人たちがいると言うことであろう。また、女性自身は先週号でも「雅子さま 奮起の影で 『祭祀は無理』宮内庁の冷視線」という記事を載せている。電子版の見出しは「『雅子さまは祭祀を理解できない』宮内庁から注がれた冷視線」というきついものだ。

どちらも、今回の即位礼では、雅子皇后陛下は頑張られたと表向きは評価しつつも、そもそも、雅子様は祭祀はお嫌いであり、その意味も理解されていない、今後が心配だという危惧を語っているのであり、今週号はそれをあまり知られているとはいえない、黒田清子氏との不和と絡めて報じているので、ちょっとした大事件である。

ここのところ、両陛下を持ち上げる一方、秋篠宮家をサンドバッグにした報道が相次ぎ、さらには、上皇陛下ご夫妻、とくに美智子様への攻撃が開始されていたのに対して、美智子様に近い関係者が「女性自身」を通じて反撃に出た格好だ。

祭祀と雅子様についての話題は次回に回すとして、今回は黒田さんとの確執報道について解説しておく。「女性自身」が伝えるところの「要旨」は次のようなところだ。

記事では、祭主さま(黒田清子氏)は両陛下より早く伊勢にいらっしゃり、両陛下をお迎えになり、内宮ご参拝後には、「両陛下と食事をされたかもしれません」(伊勢神宮を長年取材してきた文筆家の千種清美さん)としたうえで、こう書く。

「ご一緒にひとときを過ごされた雅子さまと清子さんにとっては、いわば“和解の夜”になったのではないでしょうか。雅子さまが療養に入られる’03年12月以前から、関係者の間ではお二人の“不和”が囁かれていましたから」(皇室担当記者)

「天皇家に入った“嫁”である雅子さまには、公務でご多忙だった美智子さまに代わり、“小姑”である清子さんが折に触れ、皇室のしきたりや所作などをアドバイスしていたそうです。つまり雅子さまにとって清子さんは恩人ともいえるのですが、あるときを境に円滑なコミュニケーションがなくなってしまったと聞きました」皇室ジャーナリストの渡邉みどりさん)

記事では、結婚前に清子さまが、「まだゆっくりとお話をする機会はございませんが、自分をしっかりと持っていらっしゃり、ユーモアのある楽しい方のように拝見しております」と文書で語られていたが、「’05年ごろから、清子さんとの不和を象徴するような“事件”が次々と報道された」とする。

「山階鳥類研究所に勤務し、バードバンダー(鳥類標識調査員)の資格も持つ清子さんは、研究のために赤坂御用地でカワセミの調査をしていました。早朝からの調査なので、何度か天皇陛下と雅子さまが住む赤坂東宮御所(当時)に泊まらせてもらっていたそうですが、あるときから宿泊の許可が下りなくなったという話を耳にしたことがあります」(前出・渡邉さん)。

さらに、次のような報道を引用している。

『週刊文春』(’05年12月29日号)によると、その後、清子さんは秋篠宮邸への宿泊を希望し、「いつでもどうぞ」と歓迎してくれた紀子さまと接近していったという。

『週刊ポスト』(’06年3月3日号)にはこんな記事が載った。事件が起こったのは両陛下のご結婚3年目の’96年だという。美智子さまと清子さんが御所でお菓子作りをされたとき、紀子さまは「ご一緒に」と呼ばれたのだが、雅子さまにはお声がかからなかったというのだ。

そして、清子さんが負担が大きい伊勢神宮の祭主に就任したのは’17年であるが、これについて、「当時は、次の皇后となられる雅子さまがご公務、特に祭祀へのご出席が難しく、御代替わりへの不安が大きかったのです」「皇室の外から新天皇を支えてほしいという美智子さまの強い願いがあったからなのです」としている。

そして、今回、雅子皇后が、5月8日の「期日奉告の儀」、10月22日の「即位礼正殿の儀」、11月14日からの「大嘗宮の儀」、今回の親謁の儀」と、宮中行事すべてに出席されたことを評価し、「皇室への思いの強さは、雅子さまも清子さんも同じです。宮中祭祀にも真摯に取り組む雅子さまのお姿が、皇室の祭祀を担う清子さんの心を動かしたのでしょう。長年のわだかまりは氷解して、お二人の間に“新しい絆”が生まれたのではないでしょうか」(皇室担当記者)と締めくくっている。

この記事は、表面的には、雅子皇后がよく頑張られたと持ち上げている。しかし、実際には、雅子皇后のこれまでの祭祀への消極的な姿勢を批判するとともに、今後についてシニカルに見て、それを知って欲しいという意図は明らかであろう。

このところ、「女性セブン」「週刊女性」と「朝日新聞」など多くのマスコミが雅子皇后よいしょ記事を書き、また、それを愛子天皇待望論につなげて悠仁様廃嫡へ向けて策動し、秋篠宮家たたきに奔走し、それは、上皇陛下ご夫妻、とくにこれまでタブーとされていた美智子様への批判につながっている。

それに対しての反撃が「女性自身」のここ二週間の記事であるが、どっちもどっちとしかいいようがない。

こうした事態の原因は、宮内庁が組織として貧弱すぎ、かつてのような「宮中」としての機能を果たしていないことが根本問題である。とくに、両陛下や皇族へ必要なら諫言もしながら守ることができていないのである。というか、諫言も仕事だという意識が薄いのではないか。

以前の記事でも書いたが、上皇ご夫妻は仕事について良くも悪くも完璧主義だが、それが批判を嫌われる傾向があった。皇太子時代の両陛下は、公務や祭祀について不十分にしかできていないのにそれについて残念であるむねのお言葉がないのはいかにも不自然だったし、秋篠宮家の放任主義は眞子さまの騒ぎを引き起こした。

果たして愛子様、眞子様、佳子様が結婚されたあと過去に昭和天皇の皇女たちが、現在は、黒田清子氏が果たしておられる準公務というべき仕事を担って行かれるか不安が高まっているのであるが、それがきちんと議論されていない。女性宮家だとか議論する以前に、議論されるべき問題であるはずなのにである。

皇室に対しては、世界のロイヤル・ファミリーが甘受している健全な批判が遠慮される一方、意地悪なまわりくどい批判や菊のカーテンの秘密主義の反動としての憶測報道が流されるという両極端になってしまっているのは、まことに健全でないのである。

八幡 和郎
八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授