政治、ビジネス…なぜ、昔のようにうまくいかなくなったのか?

桜を見る会は前身の観桜会を経て、1952年に吉田茂首相(当時)が始めた歴史あるイベントであります。過去、中止されたのは3度だけで震災や北朝鮮ミサイルという外的理由でやむを得なかったのですが、来年はあっさりと中止してしまいました。なぜそこまで追い込まれたのか、といえば野党の追及が直接的理由ですが、世の中、あまりにも多くの目があり、「どうにかなるさ」という時代ではなくなった点で象徴的出来事ではないかと思っています。

2019年4月の桜を見る会(官邸サイトより編集部引用)

2019年4月の桜を見る会(官邸サイトより編集部引用)

トランプ氏が強硬姿勢を見せていた対中通商交渉。トランプ氏のトーンは最近、明らかにかつての吠えるような感じではありません。ご本人は中国がもっと簡単に降臨するだろうと思っていたのに獅子は粘り強く、時間がかかっているうちにアメリカの農家の不満など弊害が出てきて、強気からディールを纏める方向に舵を切らざるをえなくなりました。

同じトランプ氏のウクライナ疑惑もある意味、時代が変わったと思わせました。大統領の会話や赤裸々な実情が聴聞を通じて次々に出てくること自体、かつてはここまで赤裸々ではなかったでしょう。この弱みもあって香港人権法案に署名をせざる得なくなりました。本望ではなかったと思います。

これらは民が知る権利を通して主張する声が世を二分しやすくなったことの表れであります。

揉める香港。私は9月に学校が始まったら収まると思っていました。多くの香港の人も台湾の人もそう思っていました。が、実際にはより過激になっていきます。そして直近では覆面禁止は違憲との香港高等法院の判断に中国本土が「お前らがそんなことを決める権利はない」と食って掛かっています。

中国は一国二制度がうまくいくと思っていたはずです。それを考えたのは返還前の90年代です。それから20年余りの間に人々への情報のインプットは膨大なものになり、政府は往々にして防戦に回ることも増えてきました。こんな例は世の中を見渡せば枚挙にいとまがありません。

我々はある意味、時代のギャップの中でもがいているのかもしれません。情報開示化はこの20年大きく進みましたが、どの情報を拾い上げ、どう調理していくか、その手法ややり方に賛否の声が上がり、計画を強硬に推し進めることが極めて困難な時代になったのではないでしょうか?

英国は一体いつまで離脱問題で揉めるのかわかりませんが、国民は双方に分かれ譲歩せず、政治家も議会も分裂し歩み寄りが極めて少ないのは白か黒かを求め、玉虫色の解決が少なくなってきたからでしょう。これは人々が思った以上にストレスを貯めており、譲歩できなくなっているからともいえます。

GSOMIAをどうするか、これは文大統領のみが判断できました。そして彼がラストミニットで「破棄延期」をしましたが、それでも非常に後味が悪いだけではなく、北朝鮮を刺激し、再びミサイルを打ち上げられてしまいました。「国民に納得してもらえる妥協案はないか」と考えるのが政治家思想ですが、もともとの戦略ミスで焚きつけたのは文大統領自身です。

「なぜ、昔のようにうまくいかなくなったのか」は政治だけの話ではありません。ビジネスでも一般社会での生活でも人との関係でも、それこそ家族関係ですらうまくいかなくなりました。私も最近、ビジネスをしていて3歩前進2歩後退というイメージです。経験則が当てはまりにくく、この歳になってまるで未経験者の手習いのような状態になっている分野もあります。

一言でいえば「手間暇かかる面倒な時代」ということなのでしょう。一昔前なら気にせずにガンガン行けた話が今じゃ各駅停車どころか、急行列車の通過待ちでいつまでも電車が発車できずイライラ感がつのっている感じでしょうか?何をするにしてもプロセスの数がかつての何倍もあるのです。この変化のギャップにもがいているのが全ての現代人に共通して言えることではないでしょうか?

引きこもりの人が増えた一因はそんな面倒な社会から隔離して自分だけの世界に閉じこもりたいと思うこともあるでしょう。私はその気持ちがわかります。人はそんなに強いわけではありません。ではこんな面倒な時代、どう生きる?、と聞かれればタスクを絞り、交友関係を絞り、フェイスブックを止め、自分自身が他人に振り回されず、自分の足で歩けるようにすることと答えます。

我々は情報化という手のひらの上で踊らされているのかもしれません。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年11月29日の記事より転載させていただきました。