洋泉社の『歴史新書』で出ていた地名シリーズを、改定の上で「光文社 知恵の森文庫」で再刊しているが、今月は『古代史が面白くなる「地名」の秘密』 (知恵の森文庫)が発売になった。
このシリーズは、一冊で数十項目を、それぞれ、原則として地図と一緒に説明してある。あまり詳しい地図でなく、要点がわかるような地図をオリジナルで私がつくって理解を助けるようにしている。
このシリーズのなかでも、この 『古代史が面白くなる「地名」の秘密』は、私としては、最高の自信作で、とくに、中国や韓国で日本の古代史と関係のある話題に五章のうち二章をあてている。
そこで、今回は、韓国史の部分を少し紹介しておきたい。
①古代の朝鮮半島にあった楽浪郡と帯方郡とはどこ
楽浪郡は平壌だ。ただし、現在の市街地より大同江の対岸である。本では高句麗の都だった時代の平壌も地図で紹介している。帯方郡は不明だ。ソウル説もあるが、普通には黄海道だとされている。ただし、韓国の歴史の教科書では帯方郡は紹介されず、楽浪郡も簡単にしか触れていない。中国の領土だったのは忘れたい歴史だからだろうか。
②高句麗は北朝鮮でなく満洲にあった
高句麗の継承国家は韓国・朝鮮か中国かという論争があるが、少なくとも、ルーツは満洲だ。有名な好太王碑も吉林省の集安市で鴨緑江から遠くないところにある。本では地図でその場所を紹介している。
③新羅の王都・慶州は日本人が創った
新羅は日本とは対立することが多い国だったが、その建国には日本人が関わっており、3つある王家のひとつは、丹波・丹後・但馬あたりの日本人だ。また、慶州の王城も日本人で建国に功績のあった日本人の住まいがあったところで、これを日本出身の4代目国王が譲り受けて王城にしたものだ。
このように新羅の建国に日本人が変わったと言うことは新羅の正史にも載っているが、逆に新羅の人が日本の建国に関わったとか渡来して日本の有力者になったということは史書や伝説にいっさい出てこない。そういう話は、戦後になっていわれだした単なる妄想に過ぎない。
④倭の五王の時代、間違いなく日本領だった任那とは
任那というのは語源的には金海市のあたりのことだが、『日本書紀』などでは、半島で直接的な日本支配下にあった土地のこと全体を指しているようだ。そのあたりを地図をつかって解説している。なお、全羅南道には前方後円墳が多いが、これは継体天皇のときに百済に譲られた任那四県であって、『日本国紀』が百済領内に前方後円墳が築かれたということを前提に「百済は日本の植民地だった」としているのは勘違いであろう。
⑤百済は日中のパイプ役と言うべき古代の総合商社だった
百済ははじめソウル付近にあったが、高句麗に攻められ、雄略天皇から任那の一部を譲られて熊津(公州)に移転した。さらに、扶余に遷都してそこで滅びた。その歴史を地図を使って説明する。
⑥朝鮮半島史における渤海、朝鮮、韓国を探る
現在の韓国や北朝鮮では渤海も韓国史の一部だといい出している。しかし、そんなことはいちども意識されたこともなかったのである。渤海は現在の黒竜江省を中心とした国だ。また、朝鮮は遼寧省から北朝鮮にかけてのことであり、韓国とはソウル以南だけのことで語源的にもまったく別のものだ。
八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授