令和考①12月8日に思い耽った「政治の空洞化」

藤川 晋之助

1941年12月8日は大東亜戦争(太平洋戦争)の開戦記念日だった。

それはトラトラトラ!真珠湾攻撃が行われた日だ。本日未明帝国陸海軍は米英と戦闘状態に入れり、という大本営発表を聞いて、日本中が色めきたった。当時は国民の誰もが神国日本の勝利を信じて疑わなかったからである。

真珠湾への出動を再現した模型(海自佐世保地方隊HPより)

しかし、ハワイへの奇襲攻撃で、二次攻撃を断念した南雲中将の判断で、空母を撃沈できなかったことを知った山本連合艦隊長官はひとり喜ばなかった。

半年後の、ミッドウェイ海戦の時もそうだったが、南雲は山本の意向を無視して作戦を致命的に失敗させ、逆に空母4隻を失ってしままったことは痛恨の極みだった。以後日本は一気に劣勢に転じるようになる。

いかにリーダーの決断が重いものか、高校生の時にそのことを知って、なんてことだと驚いたものだった。この悔しさから歴史的教訓をしっかり学ばなくてはならないと感じたことを毎年思い出すのだが、戦争の是非は論じるまでもないが、何故この国が世界を相手にあれだけの戦争をしなくてはならなかったのか、あるいはしてしまったのか。

国際情勢の分析を明らかに過ち、残念ながら軍部の独走によって、政党政治は機能不全に陥ってしまっていた。何よりもマスコミに煽られた国民のほうが好戦的となり、冷静な議論が見事に失われて行った。

写真AC

国会見学をしていると、この重厚な建物が完成した年が1936年(昭和11年)。くしくも2.26事件が勃発したのもこの年なのだから、政治の空洞化が進む中での議事堂の完成だったのかと歴史の皮肉を痛感する。

私は何故か、8月15日よりも、12月8日のほうが大きい意味を持っているように感じられ、密かに靖国神社に参拝することが行事になっているのだが、今年は体調のことを考えて自室の神棚に手を合わせるだけだった。そして戦争と平和について考える一日とした。

しかし、テレビを見てもそのことに触れているところもなく、師走になってさまざまな小事件が報道されてはいても、総じて平和な国に、歴史や政治と無関係に多くの時間が加速度的に動いていることに、ある種の無力さを感じるばかりなのだ。

桜の会の攻防は耳にするけど、日米貿易協定の議論はほとんどなかった国会。会期末を迎えたが、与党の逃げ切りは必至で、年を越えれば国民は忘れて行くだろうと政権側がたかをくくっていることを見ているだけに、香港など近隣諸国に比してこの国は大切な何かを失ってしまっていることを心の奥底に虚無の沼として堆積しているのを今日も思った。

藤川 晋之助   政治アナリスト、国会議員秘書
23歳の時、選挙の手伝いをきっかけに国会議員秘書となる。代議士秘書、大臣秘書、地方議員、放浪と隠遁生活を経て東南アジアでいくつかの事業に挑戦。帰国後、東京で藤川事務所を設立し、国会議員や首長の政策立案、選挙をサポートする。政官マスコミに幅広い人脈を持ち、田中派・小沢派での豊富な選挙経験を武器に高い勝率を誇る「選挙のプロ」としても名高い。趣味は文学と政治。