プロの経営者って何だろうか?

プロ経営者という言葉を耳にする機会も増えてきました。今年、一番印象的だったのは住宅設備大手のLIXILを巡り創業家とプロ経営者の長いバトルの末、株主総会でプロ経営者側が辛勝したという「事件」がありました。

この話はシンガポールを拠点とする創業家の潮田洋一郎氏が会社を牛耳ろうとしたこと、工業用間接資材大手モノタロウを創業した瀬戸欣哉氏を自ら社長として招聘しながらも業績悪化を招いたとクビにしたのはあまりにも創業家株主のわがままである、という話は多数の株主を巻き込んでのバトルでありました。

(写真AC:編集部)

(写真AC:編集部)

プロの経営者を必要とするケースは創業者が残した会社という資産を引き継いだ創業家がその会社のバリューを維持し、より成長させるために使命を持たせるというイメージは強いかもしれません。

サントリーはその典型かもしれません。鳥井家と佐治家が主導する創業家は寿不動産という持ち株会社を通じてサントリーをコントロールしています。その会社を誰が運営するのか検討したけれど創業家からはもう適当な人がいないと考えたのか、三菱商事からローソンに転じ手腕を発揮した新浪剛史氏にそれを託したのは2014年。その後、アメリカのジンビーム社を買収し、サントリーとしては初の膨大な借入金を抱える英断をしました。

それが成功だったか、といえば結果だけ見れば成功ではありましたが、新浪氏は相当苦労したと理解しています。ジンビーム社が老舗のウィスキー会社であったこともあり、社員も社風も胡坐をかいていたとされ、新浪氏がそこに自ら切り込み隊長として入り込み、立て直しに尽力したとされます。

新浪氏はプロの経営者として日本でも筆頭の実力を持っており、まだ60歳と若く、期待の星ともいえます。ジンビーム社のしがらみをもう少しほどき、国内ウィスキー市場が商品欠如によりサントリーとしてのマーケティングがほぼできなくなっているこの事態を解消にめどをつけた時点で次のステップが視野に入ってくると思います。

マクドナルドで名をはせた原田泳幸氏は2006年に台湾で創業し、現在1100店舗と急速なスピードで世界展開を進めるゴンチャの日本法人の社長というポジションに12月1日付で就任しました。ゴンチャはタピオカドリンクとして有名ですが、あの原田氏が社長を務めるのはちょっと意外な感じもします。

ゴンチャの創業者は日本市場を重視し、原田氏を三顧の礼で迎え入れたのかもしれません。それはタピオカが一時的ブームである可能性を見据え、日本市場において次の展開を発掘すべく同氏にそれを委託したとも考えられます。これはかなりの重責でブームで萎むとほぼ回復不可能になるほど変化する日本市場の飽きっぽさに立ち向かわねばならないところにプロの意気込みを見せることができるのでしょうか?

プロの経営者とは何か、いろいろ議論はあると思います。アメリカの企業では「職業が経営者」という人は多く、様々な業種間を飛び回る社長業を専門とする人に託すことも多くなっています。そのアメリカのプロたちは一流のMBAの肩書をバックグランドに緻密な戦略と人脈を駆使し、切った貼ったを通して再生させ、ボロボロになった会社の株価が2倍、3倍になったところで膨大なストックオプションであり得ない報酬をもらうというのは今でも変わりません。

一方、日本的なプロ経営はより会社の組織再生論に重きを置くケースが多いと思います。稲盛和夫氏がJALを再生したのはその典型であり、同社の社員の精神を変え、変われない人物を排除していきました。非常に強いポリシーを見せたと思います。

日本では創業者が高齢化し、廃業や事業継承ということがビジネスシーンでは大きな問題となっています。私はプロの経営者に事業を託す、という第三の選択肢もあるのではないか、と考えています。それは日本の製造業などは高齢になりつつある創業者が持つ能力そのものが産業界の基礎であると考えればそう簡単に廃業や市場シェア目当ての事業継承が正しいとは限らないからです。

そのためには日本にもより多くのプロの経営者を生み出す必要があると考えています。日本にはコンサルタントやアドバイザーは多いですが、経営という責任を持ったポジションで会社の再生をコミットする人はあまりにも少ないのが現状ではないでしょうか?私はそちらに自分のポジションを舵切りしてみたいと考えています。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年12月11日の記事より転載させていただきました。