過酷すぎる韓国社会から、世界の行く末を考えてみる

梶井 彩子

「ヘル朝鮮」の実態

金敬哲『韓国 行き過ぎた資本主義―「無限競争社会」の苦悩』(講談社現代新書)は、韓国国民の生の声をふんだんに盛り込んでおり、データや論よりも実感として「この社会で生きるのはキツ過ぎる!」と感じられるエピソードや実態が報告されています。

タイトル、帯からして「韓国社会の苛烈さ」が伝わりますね。

Doug Sun Beams/flickr:編集部

入試日の模様を象徴とする、韓国社会の受験戦争の激しさは日本でもよく報じられているところですが、名門学校に入るための塾に通うために引っ越したり、子供の留学のために父親だけが単身韓国に残りせっせと資金を母子に供給したり。そうまでして学歴を手にしても就職できない。

なんとか就職しても50代でリストラ、子供の教育費と親の面倒を見るために家計は破綻、リストラ後の仕事と言えばチキンを売るしかない。高齢になっても非正規で働き続け(世界一長く働き続けるのが韓国の老人らしい)、それでも貧困に陥る人が5割に迫る勢い……などなど。1冊を通じで語られる韓国社会における韓国人の生涯を想像すると、ゆりかごから墓場まで、人生のすべてのステージで苛烈な競争が行われていて、生まれてから死ぬまで息つく暇もない、といった印象です。

自殺も多く、精神に変調をきたす人も多いとか。まさに「ヘル朝鮮」。

『週刊ポスト』が「怒りを抑制できない 韓国人という病理」との記事タイトルで顰蹙を買いましたが、「これじゃ怒り(や感情)を抑制できなくても無理はないよな……」と思わざるを得ないほどのストレスフル社会といった感。

「30年で、西欧の300年を圧縮して経験した」

なぜ事ここに至ってしまったのか。「はじめに」で指摘されています。

この65年で470倍もの成長を遂げた韓国経済は、西欧が数百年かかった経済発展の過程を、わずか数十年に圧縮して経験した。だがこの異常な「圧縮成長」は、大きな副作用ももたらした。

さらに、韓国の代表的な知識人であるというキム・ジンギョン氏の〈韓国は60年代以降、30年で西欧の300年を圧縮して経験した〉〈恐ろしい速度で、自分自身を振り返るということは不可能であり、必要なことともみなされなかった〉という言も引いています。

もし韓国の若者が「北朝鮮の方がマシ」と言い出したら

ちょっと視点を広げてみましょう。「地球上の人類が皆、人権や自由を手にし、テクノロジーや医学の進歩で死ななくなり、自由な経済のもとで豊かになる」ことは、基本的には「良いこと」とされています。納得するか否かにかかわらず、我々の多くはその恩恵を受けてはいる。この30年、恐ろしい速度でひた走ってきた韓国もその恩恵は十分に受けている。

とはいえ、一方で韓国は「急激にやりすぎて」現在のような苦悩を抱えることになってしまいました。

人々に幸せをもたらす「西欧化」「民主主義化」「資本主義化」も、一人の人間が生きている間に急激に大転換してしまえばひずみを生むのは必至ではないか、と「西欧300年の歩みを30年でやってしまった韓国」を見て気が付かされる面もあるはず。

最も大きな問題は、このまま韓国社会の「無限競争社会」が続き、韓国の若者たちが「これなら北朝鮮の方がマシなのではないか」と思うようになってしまったらどうなるのか? という点です。脱北者ならぬ脱韓者を生む日も遠くはない…というか、さすがに北朝鮮には行かないものの、韓国からの海外脱出はままある話だと聞きます。

この点、日本でもそうそう他人ごとではないかもしれません。本書の筆者も〈(韓国の現状は)新自由主義に向かってひた走る、日本の近未来の姿かもしれないのだ〉として本書を締めくくっています。

本書は、「韓国社会の実態」というだけでなく、全世界的な「急速な『西洋化+資本主義化』のひずみや、成長の限界に直面したらどうすればいいのか」を考えるのにも役に立つはず。歴史認識問題や、旭日旗の問題などでは私も韓国に対して否定的な思いを持つことの方が(圧倒的に)多いですが、こうした課題についてはともに考えることも可能だし、そうすべきではないか? とも思わされました。

梶井 彩子

noteでもう少し長いオリジナル版を公開中。安倍政権を褒めたり批判したりする本だけを延々読み続ける「あべ本レビュー」も連載中です。