“よりまし”な自衛隊を目指した「自衛隊違憲合法論」の意義 --- 浦野 文孝

寄稿

旧社会党委員長だった石橋政嗣さんが亡くなった。

9日に亡くなった石橋政嗣氏(NHKニュースより:編集部)

石橋さんと言えば、1983年に提唱した「自衛隊違憲合法論」をよく覚えている。自衛隊違憲合法論は、憲法学者の小林直樹さんが編み出した理論で、「自衛隊は違憲だが、手続き的には合法的に作られた存在」だとする考え方だ。

私は学生だった。当時は非武装中立論に共鳴していて、何とか自衛隊を縮小できないかと思っていたので、この理論は新鮮だった。

しかし、自衛隊違憲合法論への賛同は広がらなかった。平和運動の活動家からは批判を浴びた。一般国民にも「違憲なのに合法」というタイトルはわかりにくく、「そんなことはありえない」という声にかき消された。

説明が下手だったと思う。こんなふうに説明して、理解を求めればよかった。

憲法9条は理想である。自衛隊をはじめ軍隊は理想的にはなくなるべきもの(違憲)だが、将来にわたって軍隊が世界でなくなることは絶対にない。そうであれば、現実的な存在として認めて(合法)、法令によって管理していくほうが「よりまし」な選択ではないか。

写真AC:編集部

社会党は自衛隊を違憲だと見なしていたから、防衛費がGNP比1%以内の自衛隊も、有事法制で管理された自衛隊も認めることはできなかった。

その結果が自衛隊の増強であり、防衛費の拡大である。理想主義的に「違憲」を唱えているだけでは、軍備拡張は止められなかった。その反省から生まれたのが自衛隊違憲合法論だった。

「よりまし」な選択を求めることは、日常生活から政治まで幅広く行われている。

たとえば、ある地域で煙草のポイ捨てがなくならないという時に、歩道に灰皿を置く提案も「よりまし」な選択である。煙草や路上喫煙は本来は認められない。灰皿を置くことは路上喫煙を認めることになる。しかし、少しでも街がきれいになるなら「よりまし」ではないか。このような考え方は理想主義者からは批判されるだろうが、現実的な選択(次善の策)として有効である。

リンカーンは奴隷解放で評価されるが、もともと米国全土で奴隷解放を提唱したわけではない。まずは北部で奴隷制度を廃止し、南部では段階的に廃止していくことを目指した。だから理想を求める奴隷解放主義者からは批判された。しかし、リンカーンの「よりまし」な政策により、米国の奴隷制度は縮小に向かった。

ジュネーブ条約(赤十字条約)は戦時の捕虜虐待を禁止する。しかし、戦時の捕虜虐待を禁止するということは、戦争そのものは認めることになる。だから赤十字は理想主義者からは批判される。私は、捕虜を虐待しない戦争は「よりまし」な選択だと思う。

現在、憲法9条の改正が議論になりつつある。

本来は、軍隊はなくなることが理想だと誰でも思う。しかし、現実には、この世界から軍隊は絶対になくならない。そうであるならば、「よりまし」な軍隊になるように、機能を限定して管理していくという選択が必要である。建設的な改憲議論を期待したい。

具体的には、立憲民主党の山尾志桜里さんが提唱するように、かつての武力行使3原則を盛り込むことに私も賛成である。さらに9条で非核を宣言してはどうか。そんな自衛隊を「よりまし」な軍隊として規定するのがいいと思う。

私の9条改正の骨子案
・自衛隊による個別的自衛権を認める
・核を持たない

旧民主党勢力の合流が検討されているようだ。最低限の条件として、9条改正の見解は統一させてほしい。

浦野 文孝
千葉市在住。歴史や政治に関心のある一般市民。